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日蓮大聖人・池田大作

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いまこそ順縁広布の時 第8回男子部総会

1959.12.6 「会長講演集」第4巻

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1  どうも、いちばん最後になってくると、なんにも話をする必要がなくなるということを理事長がいっておりましたが、たしかに、そのとおりです。いままで、あれだけたくさんの話があれば、それだけ聞いて、それだけ実行していけば、もうたくさんです。これからの総会は、どうやら来賓のあいさつで終わったほうがいいかもしれない。そうも、やっぱり、義務としていきませんし、かっこうがつかないので、申し上げておきます。
 最初に、何人かの男子部隊長から支部幹部に行かれた方がございます。とともに青年部から支部のほうへ行かれる方も、たくさんあると聞いておりますが、どうかひとつ、支部にはいりましたならば、支部長を中心として、そしておじいさんや、おばあさん、あまり読み書きのわからないような方々に対して、親切に、礼儀ただしく、暖かく、一人前の信心修行をさせていける原動力を与えていただきたいと、切望するしだいでございます。
2  仏法の不思議については、とうてい、私たちがごとき凡下の頭では、はかりしることはできません。妙法の不思議は、仏さま以外にわかりません。われわれは信ずる以外にありません。ちょうど、紀元一千二百十二年、朝鮮の聖明王より、仏法が日本にわたって大聖人様立宗までが約七百年とうかがっております。
 大聖人様立宗より、ちょうど七百年目、つまり立宗七百年目を大きいひとつの区切りとして、日蓮正宗も創価学会も大興隆、大発展の出発になってきておりました。末法にはいったときは、第七十代後冷泉天皇の永承七年と説かれております。立正安国論を大聖人様が著わされて、本年立宗七百七年目が、ちょうど七百年目とうけたまわっております。
 また、一切衆生をお救いくださる一閻浮提第一の大御本尊様御建立より七百年目は、ちょうど本年より二十年目にあたっております。かずかずのそういう不思議を感じて、あらゆる角度から広宣流布を、われわれは会長先生のおおせどおりに、二十年目を目標に戦っていかねばならないと信ずるものでございます。
 昨年三月に、会長先生は、本山におきまして『広宣流布の模擬試験をしておく。よく見ておけ』と申されて、その儀式をなさいましたが、広宣流布の暁のときには、紫宸殿にお掛けする紫宸殿御本尊様が本山にましますは、その御本尊様は、弘安三年三月のおしたためと拝しております。
3  会長先生の昨年三月の広宣流布の模擬試験のその意味に、どう考えても広宣流布ができないわけないと、このように感ずるしだいでございます。この広宣流布をするのは、なんといっても、さきほどからお話がありましたが、男子青年部の諸君が、最後の仕上げをしていかねばならないということを、さらにさらに自覚していただきたいと思うのでございます。
 日本民族の幸福のみならず、東洋全世界の指導者になれというのが、会長先生の指示でございます。いまのわこうどを見て、全学連、または鮎川金次郎みたいなおっちょこちょいや、チンドン屋みたいな者には、なにができますか。日蓮大聖人様の仏法を護持し、まじめに信・行・学をいそしんでいる青年部だけが、世界のわこうども民衆も、東洋のわこうども民衆も、日本のわこうども、また民衆も、ただひとつ待っているという宿命を感じていただきたいのでございます。
4  日寛上人は、逆縁の広宣流布、順縁の広宣流布と二つの立場からお説きあそばされておりますが、逆縁広布、順縁広布、大聖人様が三種の強敵をおうけなされて、一国大謗法のなかで、永遠に永遠の衆生を救うべき、大御本尊様の御建立、すなわち法体の広宣流布をば逆縁の広宣流布と拝するしだいでございます。
 順縁の広宣流布は、ちょうど、時も国も、民衆の機根も、正しい力ある仏法を信じなくてはならない。そうして折伏していけば、どんどんな日蓮正宗にはいってくる時代、すなわち大聖人様が『広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし』また『梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし』必ず、いまの時は広宣流布できるという、順縁の広宣流布の時であるということを自覚して、勇ましく前進したいと思うものでございます。
5  ただいは原島先生から、議会のなかのいろいろな御活躍の話をうけたまわりました。いま日本にとって、また私ども青年にとって、ひとつの関心事は安保問題でございます。そのことについて、ひとつの基本線だけを決めておいたほうがいいのではないかと思うのです。
 それは安保改定に賛成するか、反対するか、別に御書には書いてないのです。賛成といっても、学会のなかから批判がでるでしょう。反対といっても学会のなかから批判が出ます。いずれにしても、批判が出ることはとうぜんです。なぜならば、ある人は共産党から、共産党で救われないで、日蓮正宗創価学会にはいった人もおります。それから社会党の系統ではいってきている人もおります。自民党思想をもって学会にはいってきている人もおります。教職員組合、または労働組合というふうに、あらゆる角度からはいってきている。学会内がカクテルみたいです。
 自民党支持、社会党支持、または共産党支持という選挙民の支持層というものは明白でありますが、学会はそれらが、救えないものがはいってきているのですから、いろいろ角度がございます。したがって、いろいろな角度でおのおのの職場、境遇、または立場で、先入観念なり、考え方、政治観があります。自由にして目下のところけっこうです。参議院というのは、ひとつの議題を、厳正公平の立場で、どういうふうに国家百年の大計から決めるかというのが参議院の本質です。従って、学会としては、こうしろ、ああしろということは、皆さん方の自由に任せておきます。ただ安保改定よりも、それよりか、もっと本源的に大事なことは、邪宗改定であると叫んでおきたいのです。
 そうして、いまの政界の政治家は、信頼できる政治家は少ないのです。しかし、大聖人様の御書にいわく『法妙なるが故に人貴し
 学会選出の議員方は、大御本尊様のお使いとして、皆さん方の期待にそうべく、日夜真剣に、安保問題そのほかの政策に対して、国家百年の大計のうえから研究を加えておられます。したがって、その問題に対しては、私どもは、全学連選出の議員方に、全幅の信頼をもって任せていこうではございませんか。
6  また、さきほども、ちょっとお話がでましたが、宗教法人の問題でございます。
 いろいろ監視をしておられますが、なんだかという、もと大臣級の人が中心になって、そうして、天理教、神道、本願寺等、あらゆるキリスト教等、あらゆる邪宗教の坊主や牧師を集めて、ひそかに、いろいろな研究をしているらしいのです。いろいろな、われわれは憶測ができますが、そんなことは驚きはしませんが、どういうふうに、やはり神道を復活しようとしているのか、学会は締め出しをくおうとしているのか、陰険きわまりない動きがみえている。
 宗教のことだったら、天理教や、本願寺や牧師なんかにきかないで、日蓮正宗創価学会に聞くのがいちばんわかりやすいと思うのですがね、私は。どうもわけがわからないほうで聴聞して、真の宗教を知ろうともしない、民衆の声をまじめにきかないなどという政治家は不届きです。
7  過去の歴史をみても、正法を迫害し、正法を誹謗し、正法をなきものにしようと動いた政治家や指導者というものは、悲惨きわまりない最期を遂げております。もしか、そんなことをやっていくような政治家がおったとするならば、あらゆる方法を講じて、代議士にさせないようにたたき落としていこうではありませんか。
 それから、もしや、そんなおかしい動きが出てきたならば、いま国会議事堂のほうへはデモをするとまずいから。なんだかというブルドッグみたいな書記長が先頭になって、全学連が行ったというのです。今度は、宗教法人の問題は文部省です。
 国会議事堂はうるさいから行かないようにして。なんだかというブルドッグはメガネをかけているそうだから、青年部長もメガネをかけているから、こっちのほうの青年部長のほうが好男子だから、われわれも行くけれども、青年部長を真っ先にして、全学連ではなくて男子青年部をいちばん先頭に立てて、何十万の学会人が文部省へ押し寄せて、学会の正しいことを主張しようではないか。
 どうか、さきほど吉田主任参謀からも話がありましたが、前進の年にふさわしく、皆さん方の幸福にためにも、一家の確立のためにも、邪宗撲滅のためにも、部隊の発展のためにも、そしてまた、広宣流布のために前進という合言葉をもって、勇ましく来年も戦われんことを切望して講演といたします。(当時、総務)

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