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日蓮大聖人・池田大作

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十年先、二十年先が最も大事 第21回本部総会

1959.11.8 「会長講演集」第4巻

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1  恩師戸田城聖先生がいて一年七か月になりました。世間の人々は『会長なきあとの学会は必ず分裂するであろう、空中分解するであろう』と喜んで待っておりましたが、事実は反対に毅然として会長の教えのままに公布に前進しているのが、現在の学会でございます。
 会長なきあと、二年や三年で創価学会が分裂するなどということは、私は、私どもは毛頭考えておりませんでした。なぜか、会長先生が、そんなへまな訓練や、指導や、組織の確立や、信心の指導はしておりません。また二年、三年のあいだは、会長先生の思想が、脈々と学会に流れております。
 ただ、私は、大事なことは、会長なきあと、一年、二年、三年でなくして、これから五年先、十年先、二十年先がもっとも大事なときであると思うのでございます。
 これは、だんだん、だんだんに、会長先生の思想を知らない人もふえてくる。そして、だんだん、だんだんに、大勢になってきて、強い信心の根幹の指導が失われてくるおそれがある。最後の最後まで、一生成仏まで、また広宣流布の日まで、十年、二十年、三十年と、大聖人様の御金言をそのまま、勇ましく実行し、そして、会長先生の指導をはじめに最後までいいきり、実践していく人こそが、まことの学会精神であり、これが地湧の菩薩の本懐であると私は叫びたいのでございます。
 世の中の指導者は、政治家にしろ、そしてまた教育者にしろ、哲学者にしろ『われわれは民衆の味方である。民衆とともに戦っているのである』または『民主主義者である』というふうにいっておりますけれども、大半の彼らは、うそつきです。観念論です。まことに大衆の味方となって、そうして戦っているのは、日蓮正宗創価学会以外には断じてないと、私は思うのであります。
 創価学会の折伏こそは、大衆とともに生き、しあわせな大衆をつくり、大衆の味方の実践であると、私は信ずるものでございます。
 われわれの闘争目標は、自民党でも、社会党でも、労働組合でもありません。大聖人様の御金言どおり大聖人様が『あらゆる一切衆生の不幸の根源は邪宗邪義にあり、日本国にこれを知れる者は但日蓮一人のみ』(開目抄200㌻)とおおせになっておられたごとく、ただ邪宗との闘争が、わが創価学会の闘争目標であると、私は思うのでございます。
 しかし、ここで考えなくてはならないことは、創価学会の広宣流布への道をはばむ団体、政治家がおるとするならば、われわれの一生成仏への魔の働きをすべきものがあるとするならば、それは、師子王のごとく、われわれは立ち上がって、団結して打ち破っていく。それが、創価学会の精神であり、団結の精神でなくてはならないと思うのでございます。
 いま有名な宗教といえば、天理教、PL教団、立正佼正会であります。天理教はたくさん建物を造って、そうして、大勢の信者をつっている、あやつっている。建物がなければ逃げてしまう。こういう現状です。したがって、建物が大事でるならば、間組か中野組あたりに指導をうけたほうが、よっぽどいいと思うのです。天理教などという宗教の資格は、まったくありません。天理組という土木会社でもやったほうがいいと思うのですが、どうでしょうか。
 また、立正佼正会も、病院を建て、トルコ風呂を建て、それから学校をつくり、そしてまた自動車会社をつくり、宗教に化けた企業です。立正佼正会だなんていわないで、立正株式会社とでもしたほうが、よっぽどいいと思うのです。
 また、神道しかり。このあいだ、日本が負けたばっかりのことも忘れて、また、神道を復活しようなどということは、おろか千万。すなわち、先日の台風も本家本元に神風が吹いて、もう自滅の相です。
 身延といえば、伝統と慣習のうえで、いままでもっておりますけれども、会長先生が『ペンペン草をはやしてみせる』といわれたような状態になり、まるで、八十ぐらいのオニはばあが、もうじき死んでいく姿ではないかと思うのです。
 また、七百年前に、大聖人様に破折された念仏や、それから真言宗、高野山とか、それから東本願寺、西本願寺はどういう状態か。まるで観光地、交通公社か、または観光団の支店にでもなったほうがいい現状です。このような、すたれきった、なにも恐るるにたりないのが、いまの宗教界です。
 わが日蓮正宗創価学会だけは、三大秘法の大御本尊様の法力・仏力によりまして、過去も何百万人の人がしあわせになり、未来も何千万の人がしあわせになるただひとつの最高の宗教であるということを叫びきっていきたいと思うのでございます。
 邪宗教は地獄へ行く、大御本尊様を拝んでいけば、必ず仏になる。ひとりひとりの人々が、しみじみと幸福感を感じて生活している証拠、この証拠に対しては、だれびともなんともいえないと思うのでございます。
 したがって、ただいま、もったいなくも御法主上人猊下様の祝辞にもありましたごとく、広宣流布の鐘は、高らかに鳴っております。しっかりと、これからのとうそうにも、人間革命にも、忍耐強く、そしてまた、勇敢に戦いきっていきたいと思います。以上をもって、私の話とします。

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