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日蓮大聖人・池田大作

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『創価学会の歴史と確信』講義 夏季講習会

1959.8.9 「会長講演集」第4巻

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1  初代会長牧口先生の絶対の確信――『日蓮正宗をつぶしても国家諫暁をして、日本民衆を救い、宗祖の志をつがなくてはならぬ』――この厳然たる精神が学会精神です。
 宗教団体として、これほどの弾圧をこうむったところはないのではありませんか。大御本尊様に、日蓮大聖人様に南無する。牧口先生の絶対の確信……。南無とは帰命、おまかせ申し上げるということです。また、南無とは敬う義なり、従う義なりともいわれています。神札を拝んだほうが、弾圧をうけなくていいだろうなどと、自分の考えを入れたのでは、南無ではありません。これはハムだ。
 戸田先生は牢から出られたあとも、会長になることをきらっておられたのですが、就くべき位置につかなかったため、大罰をうけられ、それで、御本尊様に、この身をぜんぶささげるとの決意をもってすすまれたのです。
 それで、会長就任が二十六年五月三日『私は、学会の総意を日蓮大聖人様の御命令と確信し、会の組織を改め、折伏の大行進の命を発したのである』と申されています。
 牧口先生は口グセのように『学会は発迹顕本しなければならん』と申されていたそうですが、まず戸田先生が、牧口先生に対して、そのひとつとして、昭和二十年七月『われわれの生命は永遠である。そして日蓮大聖人様の弟子として、南無妙法蓮華経の七文字を、一国に、東洋に広宣流布します』と報告したというのです。
2  なぜかならば、牧口先生の価値論のほうが、どちらかといいますと、表にでているような姿だったのですが、戸田先生は、価値論は流通分だとして、あくまでも南無妙法蓮華経の七文字を根本とするのだということを誓ったのです。
 しかし、今度は学会総体に偉大な自覚が生じ、第二回目の報告の決意となったわけです。これこそ創価学会としての根本思想、理念で、われわれは教相のうえからみれば地涌の菩薩であるが、信心(観心)からみれば、御本仏日蓮大聖人様の眷属であり、弟子なのだというのです。三世十方の仏菩薩の前であろうが、御本尊様の前でも、また地獄の底に暮らすことがあったとしても、題目をあげきる、われわれの生命は、南無妙法蓮華経の当体であり、本尊なのだという自覚で、生活しきっていきなさいと……すごい確信でしょう。
 日蓮大聖人様の教えを身をもって守り、従順に自行化他にわたる七文字の法華経を読み奉り、いっさいの邪宗教を破って、必ずや東洋広布はする、これが根本なのです。
 この使命にたって、本山を守る戸田先生の御精神は、あの『五丈原』の如く諸孔明の立場であられた。そして、ここまで広布の基礎をおつくりになられたのです。
 この確信のうえにお下げ渡しをいただいたのが広宣流布大願の『曼茶羅』、いまの本部におわします御本尊様です。『広宣流布大願成就』とおしたためがあります。五月三日の会長就任式に、先生はじめ、みんなで御供養をつんで日昇猊下にお願いし、七月十八日入仏式、二十二日奉戴式が壮大に営まれたのです。
 こうして学会は、発迹顕本し大活動にはいったのですが、われわれの位の高さを確信すれば、前途の多難は覚悟のうえ、もののかずではないと先生はおおせです。
 すすんで過去をたずねてみれば、八十万億劫のあいだ仏を供養した大菩薩であり、しりぞいて未来を論ずれば、八十年の布施に超過して……と。われわれは偉い大菩薩なのです。
3  七百年のあいだ、創価学会のごとく如来の使いとして出現した団体ではありません。学会のみが大聖人様の御金言にかなって、化儀の広宣流布をすべき宿命があり、因縁がある団体なのです。学会員になったということは、どれほどの福運か、はかりしれません。学会にきちっとついて、信心修行するならば、絶対のしあわせ、仏になることは断じて間違いないのです。ぎゃくに、学会に弓をひき、退転し、組織をみだせば、大罰があります。
 蒙古の襲来のときに、日本で初めて火薬が使われたといわれます。文永の役、弘安の役は悲惨きわまるものでした。奇しくも、その日本の国が、一国謗法の総罰として、敗戦し、そのときに原爆を落とされているのも不思議です。大御本尊様のお力、仏天の加護によって、日本の国を守るよりほかに道はないと、会長先生は憂いていらっしゃいました。
 学会も百二十万世帯になって、東北総支部、北海道総支部、中部、関西、九州と、日本の広布の基盤はでき挙がって、あとは東洋へいくべき橋渡しを待つ時代にはいっています。
 戦争中は地獄の使いとして、何百万という兵隊が、東洋へ東洋へと戦火のへ進んでいきました。時代は変わって、いまは、大御本尊様をたもった如来の使いが、アジアの幸を建設せんとしていくべき、その因果を、私は不思議でならないと思うのです。断じて東洋の広宣流布はできると確信するしだいです。
4  このあいだも、どのくらい学会がふえれば戒壇建立になるのかと聞かれたのですが、それはちょっと私にもわかりません。いずれにしても、もうじき大講堂の前に鉄筋でスマートなりっぱな宿坊ができます。そして、会長先生の遺言である大客殿がたちます。さらに、御法主上人様の深い御構想で、やがては正本堂と、どういう名前になるかわかりませんが……そこへ奉安殿の御本尊様がおでましになるのです。そのときが広宣流布の姿、儀式なのです。そんなに遠くないような気もいたしますが、仏智はかりがたしです。それこそ、もうひとふんばり、ふたふんばりですね。
 『未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事
 なにも夜おそくまでやれとか、からだに無理してまでもというのではなく、広宣流布にひたぶるに精進する、これが学会精神であると思います。
 顕仏未来記は、東洋流布の文証です。東洋へ行きましょうよ。飛行機もあるし、沖縄にはその前提として、お寺が建つようになっておりますし、学会員もそうとういます。原水爆のおそろしさは、もう戦争が始まったら、地球はメチャクチャ、生きのびるところはないといわれています。中共では毛沢東が、革命のあと、懸命に国造りをしておりますが、有史いらいの大洪水、北のほうは大旱魃だそうです。
 一方、学会のほうには、イギリスからもアメリカからも、デンマークからもきているし、そのうちにソ連や中共もでてきますよ。すべて広宣流布の近づいている証拠になると思うのです。あとは確信です。不撓不屈の精神で折伏していくのです。
5  広宣流布、大事なときにさいして会長先生は、四菩薩様も出現しているのではないか、われわれごとき凡人にはみえませんけれども、必ず出現するであろう。また、日目上人も四条金吾も富木常忍も、日眼女も、南条殿もみな現れて、化儀の広布に活躍していると。
 とくに、三祖日目上人様は国家諫暁四十何度、七十歳をこえた御老齢をもって、その途中、垂井で御遷化あそばされた不自惜身命の姿を学会精神として、進みきっていかなければならないというのが先生の御決意でした。その当時、まだ自覚がなく学会を理解しない僧侶に対しては断固戒め、清らかに日蓮正宗教団を守り、僧俗一致で広宣流布に進んで、宗開両祖の御恩に報いなければならないというのが会長先生の精神なのです。
 『戸田の生命のつづく限り、本山に忠誠を誓う』、先生の本山に対する忠誠は絶対のものです。それが学会精神です。私たちもこの教えを奉じて、遠く東洋三国まで本尊流布をしていくことを誓おうではありませんか。(当時、総務)

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