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人間革命 新潟支部幹部会

1958.8.12 「会長講演集」第4巻

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1  会長戸田先生は、あるとき『人生のほんとうの偉さというものは、どういうことか。それはひとつは若いときに決めた希望、信念というものを、一生涯貫いていく。もうひとつは、一生涯、若々しい情熱をたもちきっていけるかどうか。三十か四十ぐらいになると、理想はなくなり、希望もなくなり、家庭に負けて、鼻についてくるような人間では、本当の偉い人間とはいえない』というような指導をされたことがあります。
 御書に、この経を持てば『は・わかうなり福はかさなり候べし』とある。生命力が旺盛になる。『一生涯若く』これが大事な人生の価値であります。それはもっと信心していくということは、一生涯、情熱をもって生命力を豊かにして、幸福にひたりきっていくことだと、私は思うのでございます。御本尊様によって、生命力をつくっていただきたい。
 もうひとつは、会長先生は昨年の七月『人間革命』をおあらわしになりました。
 仏道修行ということは『人間革命』のことです。真実の人間革命は仏道修行しかないのです。会長先生は、日蓮正宗の大信者として、また創価学会の会長というお立場から、あらゆる点で日蓮大聖人様を中心としての、人間革命の姿をわれわれに示してくださいました。
 人間革命の本がありますが、われわれは会長先生のあとに続き、仏道修行をしていく身として『次の人間革命の本は私が書く』という信心でありたいのでございます。
 次に、それをどうすればいいか。御本尊様に真に題目をあげて、そして自分の力に応じて、自分の立場で、一生懸命、御本尊様の話をしていくことです。それが仏道修行です。この信心は正しいのですよと、いいきっていくことしかないのです。
 その人が信心するしない、それは仏縁の問題です。『御本尊様を拝めばしあわせになれるのだ』これだけ教えればいいのです。そうして、あくまでも人間革命といい、若い人生を生きるといい、この源泉は、題目をあげるにつきるのです。
 御書に火を食らって生きていく生命もある。水を飲んでながらえていく植物もある。桜なんか、そうです。土を食らって生きていく動物もある。モグラなんか、そうです。石を食らっていく動物、鉄を食らっていく、またバイキンを食らっていく動物、われわれのこの骨をくらっていく鬼神。仏、菩薩、諸天善神。それから人生というものは、ただ南無妙法蓮華経を食べて最高の生命と、最大の生命力がでるのだとおおせくださったのが大聖人様です。
 したがって、あらゆる源泉は、ただ南無妙法蓮華経と唱えること、苦しくても南無妙法蓮華経、楽しくても南無妙法蓮華経、折伏に行くにも南無妙法蓮華経、この南無妙法蓮華経と唱えきっていける、そういう信心を、ひとつ一生涯していこうではありませんか。
2  最後に幹部としての皆さんに一言申します。先生は『卒に将たるは易く、将に将たるは難し』とおおせになっております。そのことについて、ひとつのことばが、青年訓に『幹部は威厳と寛容をもちなさい』とおおせになっております。どういうことか。
 威厳ということは、信心ということです。したがって信心には妥協がないのです。あくまでも御本尊様一本、そして会長先生ならびに大幹部の方々の指導を中心にした指導、それが威厳なのです。
 自分の感情をもってやりこめたり、仲良くなって世法的で、本当の信心の指導ではなくて親分・子分みたいになったり、そういうような指導は、ほんとうの指導とはいえない。
 寛容というのは、あくまでも御本尊様を中心にぜんぶ平等であるということ。班長だから組長を使いこなす、そういう命令はないのです。あくまでも自分の班員が、信心をしやすいように、自分が知っているかぎり激励し、許すものは許す、助けるものは助ける、きつくいう場合は、きつくいう。こうして、仏道修行の達成をあくまでも目標にしていくということが寛容です。
 したがって、そこには、りっぱな人間性がなくてはなりません。その威厳と寛容ということをわきまえた人が、私は、班長であり、班担であると思います。(当時、総務)

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