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日蓮大聖人・池田大作

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戸田先生こそ世界第一の指導者 第2回九州総会

1958.6.1 「会長講演集」第4巻

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1  会長先生の五十八年の御生涯、そして会長就任以来、七年間の御事跡は、千年にも二千年にも、いな一万年にも二万年にも通ずる生命の働きがあると、私は信ずるものであります。
 創価学会が第一回の弾圧をうけたそのときに、多くの幹部が退転し、会長先生は牢獄のなかで法華経を身をもって読まれた。そのとき、二年間の惨憺たる牢生活のさなかにおいて『八対二でもいいから、日本の軍隊を引き揚げろ。九対一でもいいから、早く日本の軍隊を引き揚げて日本の復興をすべきである。立正安国論、顕仏未来記、諫暁八幡抄等の御書に照らし、絶対に日蓮正宗以外には日本の国を救うことができない』と叫ばれたのであります。
 その会長先生の闘争精神、正義に向かっての限りない捨身の闘争精神が、すなわち会長先生の精神であり、創価学会の歴史であり、わが学会精神であると信ずるものであります。
 日蓮大聖人様の仏法をば、身で読み、口で読み、心で読まれたのは会長先生でございます。その会長先生の御構想、言々句々の獅子吼に対しましては、必ずや政治家も哲学者の、また、社会学者も科学者も、頭を低くして、その教えに順ずることは間近であると信ずるものでございます。
 会長先生は、御自身の御構想に対して、あるとき『自分の構想はおまえたちの孫の孫の代までの構想だよ』とおおせになったことがございます。総本山に対し奉りては、大講堂建立のすぐあと、いな、それ以前から『次の七年目には大客殿の建立をするのだ。そのときは、ガンジスの砂、台湾の檜、カナダの杉をもって建立しよう。また、本山に東洋の名士を呼んで談合し、日蓮大聖人様の仏法を知らしめよう』等々とおおせられたごとく、先生の御構想は、あくまでも人類救済の大将軍、賢王として、それにふさわしい指揮をとられたのであります。
 また個人個人に対しましても、ある人には音楽を勉強して大音楽家になれ、またある人は科学の勉強を、ある人には経済の勉強をと、人々にまごころをこめて御薫陶くだされ『多くのりっぱな人材を海外にたくさん派遣しなければならない。また青年は海外に行って、うんと勉強しなさい』と申され、かつ大御本尊様の尊い力を示されてこられたのであります。
 その姿は、大臣たりとも、財閥たりとも、工員たりとも、そして女中たりとも、なんら差別なく、会長先生こそ、世界第一の民主主義の実践者の御構想をもっておられた方と信ずるものであります。
 なお、日本の国に対しましても、非常に御心配なされ、社会党の分裂、自民党の分裂、共産党の分裂、労働組合の分裂、家庭での分裂、自界叛逆難のこの日本の国情を、どうしたら救えるか。ただ大御本尊様の教えをもって、それらの思想を指導していく以外にないと申されたのでございます。
 また、日本の国には武器がない。ソ連とアメリカのあいだに戦争が始まれば、ただちに原水爆の憂き目にあってしまう。この日本をどうするか。ただ広宣流布をする以外に絶対救えない等と、あくまでも大御本尊様のお力によって、日本民族の力を、底力を世界に発揮しなくてはならないと申された、世界第一の指導者であったと信ずるものであります。
 また、大聖人様の仏法は、東洋の仏法としてインドに帰らなくてはならない。昔はインドの仏法・釈迦の仏法が、インドから中国、中国から朝鮮、日本にと渡ってきた。今度は日本の仏法・大聖人様の仏法をインドまでひろめていくのが創価学会の使命であるよと、われわれにお教えくださっております。
 そして、国境を越えてアジアは大同団結し、あらゆる科学、原子力等を平和に利用して、住みよい文化国家を、文化のアジアをつくらなくてはならないとお教えくださっております。
 あくまでも会長先生は、創価学会を軸として日本国の楽土建設を、日本国を軸として東洋の平和を、東洋を軸として世界の平和を実現せんとし、世界最高の平和主義を唱えられた御構想の方であったと信ずるものであります。
 大聖人様の時代において、真言宗も禅宗も、そして念仏宗も問題なく沈黙しました。会長先生の御出現によって、三類の強敵、俗衆増上慢も、道門増上慢も、僭聖増上慢も、ぜんぶ打ち破ってくださって、会長先生はご去なされました。
 したがって、あとは変わった難はあると思いますが、理事長を中心に、会長先生が敷かれたレールの上を団結して進んでいくならば、必ずや広宣流布は間近にあると信ずるものでございます。
 最後に、会長先生は東洋の広宣流布の大きい手段として、踏み台として、九州の同志の皆さま方に『九州の同志よ、しっかりやれ』と申されたとうけたまわりましたが、九州制覇の、また東洋制覇のりっぱな地涌の菩薩の先駆者として、がんばられんことを切望して講演にかえます。(当時、参謀室長)

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