Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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初信同時の確信 長岡市在住会員指導会

1957.10.6 「会長講演集」第4巻

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2  もうひとつは、死ぬという問題をどう解決するかということをいわれたことです。フランスの有名な文豪ユーゴーがいったことばに『人は生まれながらにして死刑囚の執行猶予を受けたのと同じようなものだ』ということばがあります。
 死ぬということは絶対なものです。この問題は、大臣になろうが、学者になろうが、絶対に解決できない問題です。この問題が解決できるかといわれたのです。
 その生きていくという生活の根本問題、それから、すぐ老人になって死んでいかなければならない人生の目的の問題、自分の宿業、宿命、死ぬという問題について、ぜんぶ解決できるのがこの信仰なのだよといわれたのです。私は、なるほどなあと思ったのです。
 青年は、より高いものを求めていきたまえ、勉強したまえといわれて、いやだったが、信心する気になったのです。いちおう信仰したけれども、ずいぶん悩みました。『えらいことをやっちゃったな。一生、南無妙法蓮華経と唱えるのか、みんな気違いだと思うだろうなあ……』などと、ずいぶん苦しみました。
 だが『発心真実ならずとも正境に縁すれば功徳多し』というように、必ず幸福になれますからね。
3  もうひとつ、私の胸をうったのは、創価学会が、あの戦時中に真っ向から軍部と対抗して、天照大神では日本の国は救えないと、日蓮大聖人様の仏法、立正安国論、顕仏未来記の予言、諫暁八幡抄の哲理をもって、軍部を攻撃したあげく、初代の会長牧口先生、現会長戸田先生はじめ二十何名の人々が牢獄へ行ったのです。
 それと、他はぜんぶ邪宗教であると断言して、軍部に真っ向から反対した確信があるからには、なにか真実の宗教があるのだろうと感じたのです。
 世の中の人たちは、他宗を批判するから、あの宗教はだめだというが、私は反対だった。他の宗教は邪宗だといいきれるのだから正しいのだろうと感じたのです。
 そして、会長先生の姿をみて、この宗教には迫害があるかもしれないと恐れたのです。もし難があって退転するようなことなら、はじめから信心をやめよう。信仰しきっていけるなら、一生涯信心していこうと、一年間もんもんと悩んできたのです。
 利益とか罰とかは別問題でした。学会と運命をともにしていけるか、大御本尊様を一生涯護持していけるか、それが私のいつわらざる心境でした。はじめの一年間、そのときに『よし、このりっぱな会長先生のもとであるならば、なんでこの身を惜しもうか。学会のために尽くそう。広宣流布のために、凡愚の身であるが、尽くさせていただこう』と決心して十年目です。だから信心してきたのです。退転なんかできませんよ。(当時、参謀室長)

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