Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

組座談会を中心に 文京支部班長会

1956.10.25 「会長講演集」第4巻

前後
1  楽しい信心をするには、第一に、怨嫉をしないこと。怨嫉ほど、つまらないものはない。これは闘争の的がなくなると出てくる。十四謗法のなかでも、とくに、こわいもので、怨嫉すると、百年の功も一言で破れる。
 自分の班員のことを真剣に考えたら、そのほかの人のことなど、とやかく思う暇はないはずで、そういう弱い根性がでたならば、それを乗り越えていく題目をあげることだ。幹部は厳正公平に、清い信心から慈愛をもって会員をみてあげる、個性にしたがって、育ててあげることで、詮ずるところ班長がきちっとしていれば、怨嫉はなくなる。
 次に、学会から指示されたことは、率先してやることである。人にいわれて、動くのではなく、みずから喜んでやるのである。これが楽しい信心をしていく根本で、あとは、怨嫉さえなければ、信心は楽しい。大講堂の御供養も、いわれたから出すのでは、集めるほうにも功徳は少ない。勤行も義務でやるのはつらい。それ以外に楽しい信心をする道は絶対にない。
 いま、学会の方針は、組座談会以外にない。ところが、組座談会には担当はなし、だれもみている人がいないので、さぼるのにいいシーズンになったなどという根性が出てくる人が、いやしないか。もし、そんな人がいたとしたら、一年過ぎて、学会が大きく、また闘争にはいったときのその人の姿でわかる。
 仏法は観念論ではない。(1)生活のうえに功徳としてはっきりあらわれるか (2)罪業深ければ生命の歓喜のうえにあらわれるか (3)闘争の勝敗のうえに、成果の上に、功徳の上に、必ずあらわれてくる。
 『月月・日日につより給へ』また『在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて』の御金言どおり、われわれは責任感と修行観を忘れてはならない。要領主義になるおそれは断じて防ごう。現在、組座談会が荒らされている傾向、幹部がこなくて自信を失っているようなところもあると聞いている。
 学会は、いま組座談会によって、歴史も訓練も、組織もつくられていくのだ。もし、これを軽視するようなことがあれば、すべてを軽視することに通ずる。班長さん方は『私の班は、組をきちっと確立しています』と御本尊様に報告できるように。
 『智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』すなわち絶対に破れることがないと断言なさった日蓮大聖人様の哲学が、学会の哲学である。われわれは、これを勉強し思索し、実践して身に体し、指導に、また自分の信心の助けにしていくのである。
 『阿闍世王って、なんですか』などと班員に聞かれて『信長時代の英雄だ』などと答える人はないであろうが、しかし、それに類することを、もう一歩誤った面からいっているような場合がないとはいえない。基本的なことだけでも、班長さん方は勉強していってほしい。そして、多くの班員を教学部員に推薦して応援していただきたい。
 そして、全員が御本尊様中心の指導主義で、たくましく戦っていこうではないか。(当時、参謀室長・文京支部長代理)

1
1