Nichiren・Ikeda
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小樽問答の司会者として
小樽問答の司会者として
1955.3.11 「会長講演集」第4巻
前後
1 七時十分前、戸田会長先生、小樽公会堂に御到着。つづいて小平、辻教授も、先生とともに悠々と到着。石田理事、竜参謀は、全員を指揮され、法論大勝利の基礎をすすめられている。
仏法の法則はきびしい。立宗七百三年を基盤として、国立戒壇建立に進みゆく途上に、小樽法論のいかに仏意であるかを痛感する。
会場は、緊張と興奮のるつぼである。学会側・約七百五十名、身延側・約三百人。近年にみられない仏法勝負の真剣なるふんいきにふれる。とくに、身延の僧侶数十人の青白い顔、顔。邪教邪義にそまりぬいた、哀れな姿が、窓から射し込む月影に映る。
『邪法の僧等が方人をなして智者を失はん時は師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし例せば日蓮が如し、これおごれるにはあらず正法を惜む心の強盛なるべしおごれる者は必ず強敵に値ておそるる心出来するなり例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し』の御書が胸に浮かぶ。学会同志の意義は、朝日のごとく、青春の喜びに似て、明るく、力強く、盛んであった。
いよいよ七時、歴史的時間となる。会長先生、満堂の学会員の拍手のアラシにむかえられ、正面の右側のイスにおすわりになる。つづいて小平、辻教授登壇。
長谷川義一、室住一妙氏も、左側より登壇。戸田先生は、この法論の終わるまでは、朝より、機中でもお好きなお酒をおのみにならず、随行のわれら一同、ただただ感激し、いやがうえにも、先生の弟子である喜びと、力強さと、安心さのなかに、個々の立場で、りっぱに戦う決意を深めたのであった。
七時四分、両司会のあいさつをはじめとして、二時間十分にわたる大法論は展開され、すすめられたのである。
まず私は、司会者として、司会のあいさつはおたがいに三分間であり、身延側に先にあいさつしてもらった。ゆえんは本日の法論に関するあいさつとルール等を全員に徹底してもらえば、次に自分は、徹頭より身延攻撃の破折をなし、その反響によって、以後の司会の方法を考えていこうと思っていたのである。反響は、想像外に身延側は静かであり、非常に生命力のないことを感じたので、これなら、できるかぎり中間に余計なことをはさまず、学会両講師が正宗の教義の正しいことを堂々と、のびのびと主張しうるよう運営できると、確信をもった。
第一段階は、十二分の双方の主張から始まった。
第一回戦 身延側 長谷川義一
第二回戦 学会側 辻教授
第三回戦 身延側 室住一妙
第四回戦 学会側 小平教授
補足戦 最初 長谷川義一
次は 辻教授
第三は 室住一妙
最後は 小平教授
右のごとき順序で法論はなされ、この順序は学会側にとって“もってこい”の作戦であった。まるで空中戦において敵の戦闘機の後方に食い下がり、悠々と攻撃を加える見事さであり、また騎馬戦において、敵の馬の後ろより、さんざんと蹴散らしていく痛快さであった。とくに室住が立往生したのは、このときであり『あと一分半』……『あと一分』と、聞こえるように伝達したことが、かえって、その時間まで待たねばならぬごとく感じさせたことは、まったく愉快であった。
第二段階は質問戦より始まった。時間は二十分で、全聴衆者に対し、司会の指名により、どちらの講師に質問してもよいことになっていた。学会側は、とくに身延側の邪宗邪義の質問を取り上げ、学会の講師に思いきって主張してもらう心算であった。
第三段階は対決である。この結論においては、あくまで学会側が先頭となり、敵を頭から破折し、あくまで敵を受け身にしきっていく闘争である。このときほど緊張しきった真剣な司会は、いまだかつて経験したことはなかった。
対決終了と同時に、緊急に双方より一名ずつ感想発表者を出すことを宣言し、ただちに学会側より石田理事登壇、『創価学会大勝利』の宣言をなし、身延側はあっけにとられて、ぼう然としていた。
九時十分、身延側司会者の閉会の辞はいとも寂しく、最後に私が登壇、この大勝利の記録は、ぜんぶテープレコーダーに収録してあることを宣言し、万雷の拍手のうちに、この大法論の幕を閉じたのであった。
学会の歌と大勝利の万歳の声が、しばし鳴りもやまず、雪の小樽全市に、はたまた広漠たる全道を揺り動かすごとくであった。これこそ、全道広布の先駆をなす世紀の雄叫びでなくてなんであろう……。(当時、参謀室長)