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日蓮大聖人・池田大作

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民衆の総意で戒壇建立 第7回男子部総会

1958.12.7 「会長講演集」第3巻

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1  十万達成を終えまして、本日はりっぱな総会ができましておめでとうございます。心からお喜び申し上げます。
 はじめから景気がよくて騒然たるところもありまして、たのもしく思うのです。それは渡部部隊長の研究発表のときに、どこのお方か知りませんけれども、短刀をもって殺そうと思ったらしいのです。また旅の疲れもありましょうが、向こうのほうでひとり、こっちでひとり、ぐあいの悪い人もあったようです。三障四魔が競い起こってきたということは、青年部がこれで本物であると、私は信ずるものであります。
 いまから四、五年前の総会のときに、会長先生が控え室のほうへお帰りになって、前青年部長とともにいろいろ御懇談をしたことがあり、先生は『青年部が十万名になったら、おもしろいな。青年部が十万名そろったならば、どんなことができるかな。それまでは、ぐずぐずいうなよ』と申されておりました。
 また、ことし、先生が、おぐあいが非常にお悪かったのですが『先生、ことしは十万名の達成ができます』と申し上げましたらば『そうか、そうか、十万名あれば、なんでもできるな』とおっしゃった。『ひとつ、国土十万の結集をしますから、御覧になってください』と申し上げたら『そうだな、そうだな』というだけの返事でございました。会長先生は、われわれに国土十万というひとつの指針をくださいました。なにか、そこには意味があると、私は思っております。全員で会長先生に『先生が御予言くださった国土十万がそろいました』ということを御報告申し上げたいと思うのでございます。
 国立戒壇の建立は日蓮正宗の願望であり、また会長先生の、創価学会の目的でございます。国立戒壇建立といえば、一般の人々は、国家の特権や国家の圧力をもって戒壇を建立するというように考えがちでございますが、会長先生は、後楽園の総会の席上において『日本国民のひとりひとりが大御本尊様の功徳を納得して、初めて広宣流布ができるのである』といわれました。すなわち日蓮大聖人様の仏法、大御本尊様の功徳が全民衆にいきわたって、その世論として国立の戒壇ができるということを知らせていかなければならないと思うのです。
 国立戒壇建立ということを考えると、即座に一般の人々は日蓮正宗を国教にするのではないか、創価学会の目的は、政界にたくさんの政治家を出して、日蓮正宗を国教にするのだというようにみられてまいりました。そのときに会長先生は『まったく、そんな意図はない』とおおせられました。創価学会の戦いは、あくまで日本の国のしあわせと、東洋、世界の、人類の救済しかない。国立戒壇建立ということに対しては、あくまで、日蓮大聖人様の至上命令であるが、大聖人様も国教にするとはおおせになっていらっしゃらないと思いますし、会長先生もそんな意図はないとおっしゃる。
 これをしみじみ私どもが考えたときに、国立戒壇ができ上がっても、その国立戒壇は日本一国のものではない。大聖人様の仏法は一閻浮提総与の大御本尊様である。全世界にわたっての宗教であります。日本の国立戒壇の建立ということは、全世界の国立戒壇に通じていくと、私は信ずるものでございます。そうした場合に、日本の国で日蓮正宗を国教としてしまったならば、はたして、朝鮮や中国が用いるかどうか、ヨーロッパの民衆が用いるかどうか。
 大東亜戦争当時の天照大神を押しつけていったというふうな苦い経験もありましたが、あくまでも会長先生のおことばに深い深い意味がある。私どもはあくまでも思索し、間違いなく実行していかなければならないと思うしだいでございます。会長先生が、青年部結成初めての大会のときに、旧本部において『日本の広宣流布はもちろんであるが、大聖人様の御命令は、結局は東洋の広宣流布にある、世界の民衆のしあわせにある。これを忘れてはならない』と申されました。
 また本年三月十二日に、非常に先生のおからだの具合がよくて、理境坊の二階の廊下にお出ましになったそのときに、もう日本の国の広宣流布は原理はできているし、自然になっていくのだよ。あとは東洋だ。そのときには満州のほうはこういうふうにしなければならない。中共のほうはこういうふうに考えなくてはならない。インドのほうは、こういうようにしたいものだということを、何回も何回も申されておりました。また青年部の源泉である水滸会で三年、四年にわたる薫陶のいちばん最初も、東洋の本を読ませてくだされ、また本年三月の末まで、東洋の本を青年に読め読めといわれておりました。
 われわれ青年部は、先生の御理想に向かって、しっかりと団結して前進していこうではございませんか。先生は青年部に『礼儀正しく、そして勇ましくあれ、沈着にして剛毅であれ、信仰深くして、行学に励んでいく青年になっていかなければならない』と申されました。私どもは社会にあっても、支部内にあっても、学会にあっても、謙虚な気持ちで礼儀正しく、いろいろなことを勉強していくということを忘れないように、そのかわり天魔の働きや、三類の強敵がおそいかかってきたときには、阿修羅のごとく力を出しきって戦っていきたいと思うのでございます。
 諸君の健闘を心より祈りまして、私のあいさつといたします。(当時、参謀室長)

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