Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

真の民主主義を確立 第5回女子部総会

1958.11.13 「会長講演集」第3巻

前後
1  本日はりっぱな総会、まことにおめでとうございます。
 ちょうど去年の秋、この会場なのですが『岸総理を囲む青年の夕べ』という催しがあったのです。私も青年ですから、友といっしょにこの催しにまいったのです。そうしましたらば、こんなに大勢おりませんでしたが、集まった人たちの七〇パーセントか八〇パーセントはおじいさんとおばあさんなのです。残された二〇パーセントか三〇パーセントが青年なのです。なんだか『老人の夕べ』みたいです。その青年も、じつをいえば、あとにいろいろな演芸があったので、それを聞きにきたらしいのです。
 ほんとうに岸総理大臣も、また日本の人もたよりにでき、信じきっていけるのは、わが創価学会の青年部以外には断じてないと思います。同じ、まじめに人生を考え、正しい信仰をし、日本の国をどうしようかと心配している、これだけの女性が集合したということは、全世界にない、ただひとつの歴史であると思うのでございます。
 会長先生のおおせになったおことばを信ずるならば、この二万名の青年が、十年、二十年には何十万、何百万になることは必定であると信ずるのでございます。先生は『人生はマラソンのようなものである』とおおせになっておられました。若いわれわれや、皆さん方は、まだまだ、これからの人生です。しっかりと信心して、そうして、また勉強をして『こんなにも、しあわせになりました』ということを、会長先生のお墓の前に行って御報告しようではありませんか。
 終戦後、いちばん叫ばれたことばに民主主義ということばがあります。事実、憲法や法律なども、いろいろ独裁政治とか、専制政治からみれば、変わってまいりました。だが、会長先生は諸法実相という御書を私どもにお教えくださっておられたときに、真の民主主義は日蓮正宗しかない、真の民主主義は日蓮大聖人様の仏法をひろめる以外にないとおおせになったのでございます。
 すなわち、民主主義という原理は、その原理として、いくつかいわれておりますが、そのひとつとして、自由と平等と尊厳という三原理があります。しかし自由といっても、病気であっては自由ではありません。貧乏のどん底であっては自由ではありません。大聖人様の仏法、大乗仏教は、この地球上に、宇宙に遊戯しにきたのである、楽しみにきたのであると説かれています。自由自在の境涯こそが、仏法の根幹の思想でございます。したがって、真実の自由は、信仰していく立場から与えられるものなのです。
 また平等といっても、まだ大きい差別がありますが、大聖人様は『妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず』また『一切衆生これ吾が子なり』(産湯相承書880㌻)とおおせられ、この御本尊様のもとに、ぜんぶが平等である、十界互具、百界千如、一念三千の生命のもとに、いっさいの生命は平等であると、こう説かれた平等こそが、真実の平等であると思うのでございます。
 また尊厳という原理に対しましても『当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし』(法華経・勧発品)おのおのほんとうに尊敬しあい、生命というものを大切なものである、もっとも大事なものであるという思想が伝わるならば、そこに初めて政治があり、事業があり、芸術がああり、文化がある。その生命というものを、おたがいが尊敬する。生命というものを重んじあうならば、戦争などというものはありません。また、自殺だとか、人殺しなどというものはありえません。
 すなわち、王仏冥合の思想が日本国じゅうにひろまったときこそが、仏国土であり、真実の民主主義であると断ずるものでございます。どうか、さきほどから、いろいろな指導がありましたが、願わくは夜は早くお帰りになって、そして勤めのほうは休まないようにして、うんと親孝行をして、悠々たる仏道修行をしていっていただきたいと思います。また退転する場合には、きちんと御本尊様に御報告して退転したいと思うのでございます。以上をもって、あいさつといたします。(当時、参謀室長)

1
1