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女子部員の結婚について 名古屋女子第十八部隊会

1958.9.14 「会長講演集」第3巻

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1  十八部隊は、全女子部のなかで、いちばん清らかで、いちばん若々しい十八歳のような乙女という気風をもった部隊であっていただきたいと、切望するものでございます。
 『人生はマラソンのごとし』ということを、よく、会長先生はわれわれにお教えくださいました。はじめ、いくら駆け足が速くても、途中でまいったらば、一等になれませんよ。一万メートル競争を今度体育大会にやるのですが、五千メートルまで一番でも、最後のゴールでビリならばビリですよ。初め百人駆けて、百番目に走ったとしても、最後に一等ならば一等でしょ。
 信心もまた同じです。威勢がいい人、目だたない人、途中で退転する人、または人の駆けておることをヤキモチやいて『ああ、あの人は速い。私は負けそうだ。なんとかごまかして、倒しちゃおう』などとヤキモチをやいている人、そういう、よけいなことばかり考えて、自分の走っていくコースを忘れていく人というふうに、いろいろな駆け足の姿は、願わくは、水の流れるように、どんな逆境にきても、どんなアラシがきても、どんな三障四魔にぶつかっても、御本尊様と離れない、創価学会と離れないという、一生涯にわたる信仰していく人が、最後の幸福の栄冠をたもてる、ゴールインできる人であると、私は信ずるのでございます。
 きょう集まった人々は、最後のゴールイン、絶対の幸福、色心ともの幸福生活を得られる、ゴールインをしていただきたいと思うのでございます。
 退転してはいけません。あわてる必要もありません。指導どおり着実に、そうして、偉くなっていく必要ありません。幸福になっていく、そういう人々になっていただきたいのです。
 なぜ、信心しなくてはならないのか。それは、こういう話をしていいか悪いかしりませんがこういうわけです。
 皆さん方が、いま、しあわせであると仮定します。また信心していないと仮定する。また自分が満足していると仮定しましょう。だが女性は結婚によって宿命は決まるのです。どんなにいいお嬢さんに育って裕福であったとしても、結婚に失敗すれば、悪い男にとついでしまえば、一生涯不幸ですよ。この結婚で決まるのです。
 ひとつ『私はああいう人がいい』と思っても、男はどういうキバを持っているかもわからない。それで一年たち二年たって『失敗した』といっても遅いです。親が決めてくれたと思っても、親だって凡夫です。肉眼ですよ。法眼、眼じゃありませんよ。失敗があります。
 だが、大御本尊様は主であり、師匠であり、親です。きちっと大御本尊様を純真に信心しておって自分も見、また親からも見てもらって、支部長さんにも見てもらって、そうして結婚した場合には間違いないと思う。
 たとえ、どんなにいま逆境にあったとしても、りっぱな男性につけば、これはしあわせですよ。今度は自分が働かなくても、きちんと月給をかせいできてくれますよ。
 次に、今度は結婚なさればお子さんができます。どんなに金持ちでも、どんなに裕福であったとしても、頭がよくても、どういう子供ができるかわかりませんよ。
 生命の出生とは不思議なのです。御本尊様を拝まなければ、どういう宿命の子供を産むかわかりませんよ。こわい問題ですよ。
 だが御本尊様を拝んでいれば絶対に福子です。安心しきって、かわいいお子さんができて一家も繁栄していくのですよ。これが仏法の原理です。
 たった二つだけの問題を考えたって、仏法以外に解決する道はないのです。政治でも、いくら社会主義を励行してもだめです。悲しみとか苦しみとかいう問題は解決できないのです。どんなにお金があったって、結婚という問題の解決や、またはお子さんの出生という問題は解決できない。だれびとも解決できない。だが、いちばん大事な問題です。
 まだ問題はたくさんありますよ。死という問題、死ぬという問題。そのどういう死に方をするかという問題は、内閣総理大臣だって、わかりはしない。自分だってわかりはしませんよ。というように、いろいろな問題がありますけれども、当面の問題は、そういう問題があります。したがって、絶対に御本尊様と離れない。指導どおりに純真に、一生涯信仰ということは、一生涯信じきっていることなのです。途中で退転したり、疑うのは信仰ではありませんよ。『もう、この御本尊様に、自分の一生はぜんぶ託します。おまかせ申し上げます』ということが信仰ですから、そういう信心をしていきましょう。幸福になりましょうね。(当時、参謀室長)

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