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日蓮大聖人・池田大作

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信心は実行なり 名古屋男子十八部隊会

1958.9.14 「会長講演集」第3巻

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1  こんばんは。質問があれば、聞きましょう。いや、そのまえに、ひとつ、お話しよう。このあいだ、青年部を代表して、参謀室が、ある有名な大政治家に会ったのです。たいした政治家なのです。私が、社会党には、どういういい人物がおりますかといったのです。自民党にはどういういい人物がいますか。共産党には、どういういい人物がいますかと、質問したのです。
 その人の主観ですが『まず、社会党のほうはまあ、あんまりいませんね』と。『西尾末広君なんかいいかな』というのです。『あんなのに青年はつきはしない』といったのです。それから『自民党にはひとりもいない』というのです。それから、共産党は『そう、共産党は宮本顕治かな』といったな。宮本武蔵ではありませんよ。『まあ、そのかげに十人ぐらい優秀な青年がいるな』その人は、こういっているのです。そういう話があったのです。
 わが学会には、名古屋だけでも、これだけの大人材がいるということは、これからの日本の国は、もう行く先がはっきり決定されていると、私は信じたいのでございます。
 それから、その先生に、アメリカと、それからソ連と、どっちが強いのだと、今度は、えらい聞きかたですよ。むこうはあわくっちゃった。結局、はっきりしたことは、なんにもいえないです。日本の生きる道はどうだ。わからない。『私、修行がたりませんから、わかりません』政治家ではないか。一流の大政治家です。卑怯です。そういうふうにあいまいきわまる、なんの信念もないことを、はっきり私はわかりました。
 そうして、今度の体育大会には、私も、創価学会の青年部以外に、日本の民衆を救い、東洋の民衆を救う青年はいないと確信いたします。日蓮大聖人様の生命哲学をもって、そんな物の哲学や、心の哲学や、そんなあいまいな、片寄った哲学ではなりません。あくまでも物心一如の生命哲学でなくてはならない。そんなアメリカなどは金さえもうかれば、いくらでも戦争するのだから。ソ連などは、人を物と思っているのだもの、たまったものではない。すぐ切られてしまう。殺されてしまう。あぶなくて、そんな人につけやしませんよ。
 ただひとつ、日蓮正宗の哲学をもった、そうして、それを実践し、戸田会長先生のあとを、願って実践遂行する青年部以外にないということをいい、二十三日のことを話しましたら『ぜひとも、見せてくれませんか』というわけなのです。『かねがね、創価学会の青年部がすごいということは知っております。しかし、目のあたり、まだ見ておりません。ぜひとも見せてください』と。だから『見て感じろ!』というようにはおこれないけれども、そこまでいえば、『それはどうぞ』といったのです。そういうわけなのです。見せてあげようよ。
 それから、またある大政治家の奥さんは、そのわれわれの姿を知っていましてね。もう、学会の青年部、ベタほめ、たいへんです。『あんなにまあ若い人が、規律整然と、りっぱですね。あれだけの人が、命を賭して、ひとつのものに向かっていくことは、すごい。これは世界の黎明ですね』といっているある有名な大政治家の奥さんも知っています。これは、この耳で聞いてきたのですから。この目で会ってきたのですから、ウソではありません。
 それほど、もう、日本全体、いな東洋の人々も注目しはじめてきているのです。それは、ビルマだって三宅君が行っているのだ。中共だって文化部長は行ったのだもの。それからブラジルは、名古屋の部隊長が行ったではないか。あれは逃げていったのではないのですよ。やはり、きちんと行ったのです。
 それから、貞永君もアメリカへ行っているし、世界の広宣流布みたいです、まるで。ぜんぶ行っているのだから。ひとりひとりが、他を生むのですからね。不思議にきちんと、もう広宣流布の布石はできているのです。ぜんぶ、青年部ではないか。
 というわけで、皆さん方は広宣流布といえば、なにかお祭りのことばか、ひとつの理想と思っているのです。『一生懸命、広宣流布というけれども、話だよ』と心のなかで思っている人がいるのではないかと思うのです。ということは、会長先生が、二、三年前におおせになったことがあるのですよ。『諸君らは、それを本気に思えないのだろう。絶対そうではないよ。もしか、広宣流布できなかったら、日本は滅亡だよ。世界の滅亡ですよ。仏さまのおおせになったことは、ウソになるよ』と。
 仏さまは、ウソをつかないと私は信じます。また、会長先生もウソはつきません。仏さまです。きちんと二十一年先を目ざして、そうおおせになったのだもの。先生が四年前に『もう、自分はそろそろ眠るから、青年部しっかり聞いておけよ。聞いておけよ。あと二十五年だよ』とおおせになったのだから。それから四年目だから、ちょうど二十一年です。というわけで、必ず広宣流布はできるのです。それで、諸君に、とくに注意しておきたいことは、生活のうえで苦しい人もいるだろうと思います。
 私だって、どれほど、生活面で苦しんできたかしれませんよ。私は十九歳で信仰をもちました。昭和二十二年八月二十四日に御本尊様をいただいたのです。それから、そのまえに、ほんとうに印刷屋の小僧もやりました。新聞配達もしました。自分から率先して。それから、書記もやりました。ていさいは書記だけども、もうなんでも屋です。それをやりました。
 というように、給料ももらえないときもあった。夜学へ行っておって、からだはぐあい悪いし、さんざんの目にあってきましたよ。もう腹がへって、夜学を終わって家へ帰れないのです。つばが出ちゃって。終戦後で、家じゅうは大反対です。いまみたいに大勢いないのです。青年部というのは、二十人ぐらいしかいないのだもの。二十人いない、十何人です。ほんとうの青年部は二、三人です。その時分は、そういう状態だったのです。それで、ずいぶん、それは悪戦苦闘してきましたよ。大八車をひっぱって、銀座通りを何回も往復したことがあります。背広なんか着やしませんよ。若いのだもの。ランニング一枚で、働くのがあたりまえです。苦労するのはあたりまえです。偉くなる人は、どんな人だって、みんな苦労している、苦労もしないで、うまく偉くなっていこうなんて、おこがましいです。結局は、ほんとうに偉くなれないのです。
 ほんとに、みんな満足しておったら、もう信仰は必要がないではないか。修行は必要ないではないか。仏道修行しているのだもの。人間革命しているのだから。とうぜん、あらゆる波浪や苦難の道があっていいのです。そのほうがおもしろいのです。なかったら、つまらないだろう。
 そういう途中で、いくじなく退転したり、生活に負けておかしくなるような男は、そんなのは、男じゃない、青年ではありません。いくじなしです。うんと苦労しよう。私もしてきました。うんとしてきました。自分でひとつもそれをいとわなかった。必ずよくなる、ぜんぶ、私自身の身につくのだ、こう思って喜んでましたよ。
 いわんや、私は、からだが弱かった。ものすごく弱かったのです。血痰が出て、ずっと、やっていたのだから、このからだが十二貫か十二貫五百ぐらいにやせちゃったのです。ちょいちょいあるのです。もう、こんなやせちゃってね。それでも戦ってきましたよ。それで『よーしこんな苦しいのだからお題目だ』お題目を二万遍ずつあげたこともあります。六十万遍のお題目をあげたこともあります。
 もう、なにを信じていいのだか、わからない。御本尊様しかないもの。と同じように、諸君が苦しければ苦しいように、そのときに『私は実験証明をするのだ。体験をつくるのだ。私の信心の、こここそ打解して、みんなに証明できるチャンスじゃないか』といって、信心実行していく人が、ほんとうの人間革命であると私は思う。
 信心とは実行です。信心とは実行だ。若いものは、あくまでも希望をもって、勇気をもっておのれ自身の宿命転換に、強く、そうして雄々しく、自分にムチ打っていきなさい。
 そうして、広宣流布まで、あと二十年、そのときに、それはもう、ハイヤーものれるでしょうし、三万円か、五万円ぐらいの洋服も着られるだろうし、ポケットのなかには、いつも五万円か、十万円ある。それまでは、ぜんぶ人に貸してあると思いなさい。二十年間の定期預金してあるのだと。
 そういう気持ちで、青年らしく、男らしく、信心していきなさい。それで、ひとりも退転してはいけない、青年部はぜんぶ、広宣流布まで、私のあとへついてきなさい。(当時、参謀室長)

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