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時代の指導者たれ 第1回学生部総会

1958.6.29 「会長講演集」第3巻

前後
1  会長戸田先生がおみえになりませんけれども、皆さん方の前途に対しましては、学会の大幹部の先生方が、しっかりと見守って、すくすくと伸びていくことを楽しみに待っておられますから、りっぱに育っていっていただきたいと思います。
 『学問をしないで偉くなった人はいない』というがあります。学問をしないで偉くなった人は世界じゅうでひとりもいない。いまの日本の指導者も、ぜんぶ、自民党系にしても、社会党にしても、みんな最高学府を出ています。岸さんだって、河野さんだって、池田勇人さんだって、みんな最高学府の出身です。とくに、明治時代を中心にして、それ以後は、その点がはっきり基礎づけられたような時代です。今後もきっとそうなるだろうと思います。
 だが、御本尊様を信じ、三大秘法の仏法を護持したその基礎のうえに立って、学問をもったものこそが、時代の最高の指導者であると信ずるものであります。皆さん方がしっかりと育って、社会で、青年部で、支部でも、その中心幹部になっていったときに、私はほんとうの広宣流布の爛熟期がきたといえると思うのであります。ずいぶんりっぱな、強い信心をしている青年部や支部の人々もいます。また信心が根本ではありますけれども、じっさいに、これからの指導者としては“学問”が大事です。
 ケインズかマルクスかというと、それは野球の試合ですかと、また、これからはオートメーションの時代であるといえば、それはソビエトのサーカスの名前ですか、というようでは、ほんとうの指導はできないと思います。
 したがって、皆さん方は、ぜんぶ青年部に籍を置いているとは思いますが、どうか皆さん方の学生部の活動、学業ということを中心にして、青年部はできうるかぎりの援助と、皆さん方が育っていく方向に全面的に応援いたしますから、安心しきって、ひとつ信心と勉強に励んでいただきたいと切望するしだいでございます。
 それで、会長戸田城聖先生が、いまから四年前に、青年部の第三回目の総会の席上、話された一節を、ここでいっしょに味わいたいと思うのであります。
 それは広宣流布ということについての、青年部に対する大きな期待です。
 『広宣流布のできるときまで、皆さんが会社をやっているならば、社長になり、課長になっていなくてはならない。また、局長さんや大臣になっていなければならない。そして、そのときは、皆さんのなかから四百幾人かの代議士が出なければ広宣流布はできない』--博士と重役は皆さんに残しておりますから、書いてありませんが--『しかして、この私にいわせれば、この年から二十五年のあいだでなければできない。来年や明後年にできるものではない。私も君たちぐらいの年ごろからやっていればよかったのだが、すこぶる怠けもので、オヤジにしかられたのだよ。
  いまのときがきて、あわててもまにあわない。私もことしでもう五十六歳になった。二十五年でできるとしても、加算をすればとうなるか、八十一ではないか。それまで生きているわけにはいきません。私も忙しいから、どこかの仏国土へいってかせがなくてはならない。仏国にも折伏のできない国があるかもしれないから、そこへいってかせがなければならないのだ。そうすると、この娑婆世界は、あなた方に委任しなければならない。先生が生きているから大丈夫だ!というかるはずみをしないように、あとはおれが引き受けるという人間になってほしい。戸田もそう忙しくはかせげない。少しは休みたい』
 と、おおせになったおことばがあります。さきほど、白木総支部長からも申されましたが、皆さん方は、学会の舎利弗尊者です。舎利弗も釈迦第一の弟子といわれましたが、信の一字によって成仏をしております。願わくは、全学会員が一番嘱望しておる皆さま方が、りっぱに会長戸田城聖先生の期待にそって、広宣流布の、また文化の東洋の指導者にならんことを切望して私の話といたします。(当時、参謀室長)

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