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日蓮大聖人・池田大作

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伸びゆく人生 第1回女子部北海道総会

1958.6.22 「会長講演集」第3巻

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1  会長先生が、あるとき『伸びゆく民族、滅びゆく民族、必ずその時代に、伸びゆく民族と滅んでいく民族の二つに分かれる。また個人にとっても、伸びゆく人生と、滅んでいく人生の二つがある。その裏付けは、あくまでも偉大なる力のある宗教をたもっている民族であるか、個人であるか、反対に、間違った宗教、間違った思想をもっている民族であるか、個人であるか、これによって決定される』と申されておりました。
 きょう集まった、この二千のわこうどの姿が、個人にとっても伸びゆく人生の会合であり、また日本民族を大きく伸ばしていくところの源泉の北海道にとって、歴史的な会合であると私は信ずるのであります。
 次に、私が信心をした当時、先輩からいわれたことばに『なぜ信心していくか』とのことについて、四つの戒めをうけました。
 ひとつは、これから長い人生を生きていく。あすの命もわからないで、五年、十年先の人生がどのようになるかということが、君にはわかるか。いくら生意気なことをいっても、あすの命がわからないではないか。十年先、二十年先にどういう宿命や、どういう戦争や、どういう災難があるかもわからない。その、これからの二十年、三十年生きていくという人生を安心しきっていくために、どの方法があるか。いくら学問したからといって、いくら金があるからといって、いくら名誉があるからといって、解決はできえない。
 また、次に、いま若いから、いろいろなことを大きくいうけれども、アッというまに白髪の老人になるよ。そのときに『われ人生を誤てり』と嘆いたらどうする。なんのために人生として生き、なんのために人生として死んでいくのか。人生の目的を知らずして、アッというまに、大事な人生を老人になってしまったらどうするのか。皆さん方だって、すみませんけれど、おばあさんになるのですから、同じですよ。こっちだけ老人になるのではないのですから。これをいわれました。
 もうひとつ、それはどういう宿命があるかしれないではないか。さきほど体験発表にありましたように、脳溢血、または洞爺丸事件、または登別のケーブルカーが落っこちたというふうに、いつ、どのような災難があるかもわからない。宿命という問題、宿命的な病気という問題、こういう問題を解決する道はないであろう。
 もうひとつ、最後に『死ぬ』という問題。これはある有名な文学者が『人生は生まれながらにして死刑囚の宣告をうけているようなものである』と申しましたが、そういう宿命、死んでいくというそのときに、安心しきって、そうして、子供のことも、妻のことも、皆さんからいえば、夫のことも、孫のことも、子供のこともです、そういう将来に対して、安心しきって、笑って死んでいけるかどうか。『これでよし』といって死んでいけるかどうか。
 このように、これから生きていくという問題、アッというまに老人になってしまうという人生、それから宿命的な病気、宿命的な災難というものは、どうしようもない。それから、死んでいくときに安心しきっていけるという解決の問題、この問題の解決の道は、どこにもない。
 この解決の問題は、ほんとうに宗教なのです。これが日蓮正宗であり、三大秘法の大御本尊様であると、お教えくださったのであります。したがって、そういう人生というものを、まじめに考え、これからの将来というものも、安心しきって生きていくためには、絶対に三大秘法の大御本尊様を拝みきっていく以外にないと、確信をもった人生であっていただきたいのでございます。
 最後に、会長先生が、本年三月、あるときに『これからの日本の国、世界の国は、わこうどが、青年が、絶賛のアラシのごとき応援をしていくならば、どんなことでも実現していける。それしか、これからの大業の実現はありえない』ということを申されました。
 青年のアラシのごとき団結と、アラシのごとき拍手をもった、そして、ひとつの目的に対する応援、これに期待をかける以外にない、このように申されました。したがって、これからの広宣流布をめざして、理事長のもとに、青年部は、北海道でも、九州でも、本州でも、あらゆる所で、全世界に響いていくくらいの足音をもって、絶賛の歩調を合わせて、団結をもって進んでいきたいと思います。(当時、参謀室長)

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