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日蓮大聖人・池田大作

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七つの鐘 第18回春季総会

1958.5.3 「会長講演集」第3巻

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1  昭和三十一年三月、御法主上人猊下のお座替わりの儀式のさい、戸田会長先生は『戸田の命のつづくかぎり、御本山へ忠誠を誓うものであります』との決意を述べられたことがございます。この会長先生の決意、ただひたすらに広布実現を目ざしての心こそ、創価学会の精神であると信ずるものでございます。
 釈尊の予言は、もったいなくも日蓮大聖人様の出現によって虚妄でなくなったのでございます。そして日蓮大聖人様の御命令は、戸田会長先生の出現、すなわち創価学会の出現によってウソでなくなったといっても過言ではないと信ずるものであります。
 ただひとつ、会長先生は広宣流布を実現せんと叫び、いっさいの願業を成就なされて寂光の宝刹へ還りたもうたのでございますが、残された幹部一同は、理事長を中心に、団結して広宣流布を実現することが、会長先生の確信を虚妄としない証明であると思うものでございます。世間のこととはいえ、四十七士は団結して主君のために命をささげました。また少年とはいえ、白虎隊もまた、恩ある主君のために身命をささげております。
 いま会長先生がなくなって、宗門のなかにも、または創価学会のなかにも、いわんや外敵においては、会長先生がなくなったことを喜び、または安堵の胸をおろし、または反逆の心を起こし、蠢動するようなものがあったならば、これ広宣流布を乱していく天魔の所為として、断固粉砕していくことが、学会幹部のありかたであると思うものであります。
 かつて政治革命とはいえ、日本の黎明といわれた明治維新の大業は、吉田松陰先生を中心にして、儒教の哲学をもって実現せんとし、吉田松陰先生なきあと、その門下生である高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文等の若き百名にたらざる幹部を中心にして、あの政治革命を断行しております。また経済改革とはいえ、あの唯物史観を原理としたカール・マルクスを中心に、その原理をつくり、そのマルクス主義をレーニンをはじめとし、千名にたらざる共産党員の指導者の先導によって、彼の世界的なロシア革命を遂行しております。
 いま三大秘法の大御本尊様をたもち、末法折伏の総帥である会長先生の薫陶を受けた数万の学会の幹部が前進するならば、絶対に化儀の広宣流布、すなわち、宗教改革は断行できると信ずるものでございます。
 『此の経文は一切経に勝れたり地走る者の王たり師子王のごとし・空飛ぶ者の王たり鷲のごとし』とおおせになっておりますが、一閻浮提総与の大御本尊様に敵対するものは、最後は必ず滅んでいくという確信をもって、今後、雄々しく前進したいと思うものでございます。
 また、もったいなくも総本山には御法主上人猊下が厳然と慈悲の瞳をもって、全宗門内を見守ってくださっております。御法主上人猊下おわしますあいだ、絶対に邪宗教の指もささせない厳然たる、太陽の昇るような希望をもって進んでいきたいと思うものでございます。
 会長先生は『広宣流布は二十数年にして実現したい』と申されたことがございます。広宣流布は仏意仏勅であり、私ごときもの、われわれごときものに推測することはできませんが、会長先生のその御決意をわれわれの決意として推測するならば、会長就任いらい七年にして会長先生は、いっさい広宣流布の原理、また基盤をおつくりくださっております。
 そして、本日を第一歩として次の七年間、これを第一段階として、次のまた七年間、これを第二段階とし、次のまた七年間、これを総仕上げと考えるならば、会長先生の二十一年忌には、広宣流布ができるという目標で前進すべきではないかと思うのでございます。
 『学会は七年ごとに大きいあゆみをしていくのだ』と申されたこともありますし、また『七つの鐘をうて』とおおせになったこともございます。ひるがえって、昭和五年、牧口先生と戸田先生によって創価学会は創立され、次の七年目、昭和十二年に、初めて創価教育学会としての結成式がなされております。
 そのときは、他国侵逼の難の序分ともいうべき支那事変が勃発しております。その十二年から次の七年目、すなわち昭和十九年には初代会長牧口先生が牢死あそばされております。その一年前の昭和十八年には、学会は大弾圧をこうむっております。その十九年より七年目、すなわち昭和二十六年には人類救済の総帥として、会長先生が会長就任をなされております。そして、また会長就任いらい七年目、会長先生は広宣流布の原理、基盤も残されて、寂光の宝刹に還り給うております。
 すなわち昭和五年から十二年まで第一の鐘とするならば、十二年から十九年、これ第二の鐘ともいえると思います。そして昭和十九年より昭和二十六年、第三の鐘ともいえます。また、昭和二十六年から昭和三十三年、これ第四の鐘であり、次の七年が第五の鐘であり、次の七年が第六の鐘であり、次の二十一年目が第七の鐘であると信ずるものでございます。
 『命限り有り惜む可からず遂に願う可きは仏国也』この御金言がございますが、どうか、本日をまた力強い第一歩として、理事長のもとに、希望と勇気と確信とをもって、広布実現に進んでいきたいと思うものでございます。
 以上をもって終わります。(当時、参謀室長)

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