Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

会長先生と青年部 大白蓮華誌上

1958.5.1 「会長講演集」第3巻

前後
1  『この事駕は大きすぎる。これでは戦闘の役には立たない。指揮がおくれる』と。
 三月十六日、岸総理のお家族を、本山に迎えたときのことである。先生のおからだは、すでにお悪かった。ゆえに青年部二十名は、先生をお抱えするようにして、車駕にお乗り願ったのであった。だが、先生の強い叱咤激励は、最後まで、地涌の菩薩の棟梁としての、毅然たる、お姿であった。しかも厳然と御本山を守る先生の身・口・意三業のおふるまいは、十六日結集した、六千名の青年部員の胸に、生涯、ぬぐい去ることのできない印象となって永久に残ることとなった。
 そして、意義ある総登山も無事に終わった四月二日、突如、会長戸田先生の御逝去の報がもたらされた。一瞬、だれびとも茫然自失、ある者はわれとわが耳を疑い、ある者は悲しみの涙にむせぶのであった。しかし、ただ、嘆き悲しむだけでは、先生の真の弟子とは申されない。
 先生は、あくまで末法広布の総帥として御出現あそばされ、いま、いっさいの願業を達成なされて、安らかに寂光の宝剤へ帰りたもうたのである。
 ゆえに、われわれ青年部は、いまこそ先生の御遺命となった国立戒壇建立に向かって、怒濤のごとく大進軍せねばならないのである。
 先生は、つねひごろ『星落秋風五丈原の歌』を愛好せられた。いや、愛好せられるより、総会、幹部会等に歌うたびごとに、感動の涙にむせばれるのであった。それはなにゆえであろうか。
 かつて私たち青年部が、初めて、この歌を御披露申し上げたところ、涙ぐんで幾度も幾度も聞かれ、そしていわれるには『この諸葛孔明の心境こそ、学会精神である』と。
 まさに内外から、アラシのごとき批判を受けて立つ、会長戸田先生のお姿は、また山をも抜く先生の御本山への偉大な御奉公は、かの諸葛孔明が、先帝の遺命にこたえる誠忠一途の精神と、まったく相通ずるがゆえである。
 先生こそ、現代の宗教界にあって、中原鹿を争うがごとき、覇道、権力を退ぞけられ、敢然と王佐の任を完うせられた、だれひとりの大偉人であらせられる。
 また遠く学会建設期のころをふりかえるとき、会長先生の指揮の下、青年部の活動は目ざましいものがあった。そして、先生を敬慕してつどう者、等しく先生の偉大な生命力にふれて、その御命令のあるところ、水火も辞せぬ決意をもって、邪宗破折に、座談会に、縦横に駆けめぐったのである。
 ゆえに、先生の青年に対する御指導は、わが子のごとく慈愛に満ちあふれたものであった。
 昭和二十六年一月、二月、すなわち会長御就任以前、将来を担う青年部の結成を目ざして現幹部への特別の御指導があった。そのときの題材に先生の愛読なされた小説『永遠の都』を中心として、その背景をなす政治革命より、われらの宗教革命に通ずる貴重な勉強をしたことなど、いまに忘れえないところである。
 また部隊結成されるや、さらに『水滸会』を結成し、あるときは多摩の渓流に、寝食をともにせられ、あるときは、河口湖畔に父のごとく遊び、また、ときには、幾多の英傑を指標せられて、人間修行の練磨をお教えくださったのであった。その水滸の同志も、今日いよいよ先生の御恩にこたえ、その本領を発揮すべきときはきたのである。
 おおいなる師匠の鵬翼に包まれて育った強き若鷲がぐんぐん飛ぶときがきたのだ。
 巷に迷う、わこうどのいかに多いことか。われわれも、もし先生にお会いすることなくんば、必ずや不幸と混乱のなかに、苦しむのみであったろう。
 あの先生の、青年訓を熟読し、実践して、歓喜し、勇躍せぬ者はひとりもいない。されば、彼の青年訓、国士訓は、学会青年部の指針であり、さらに世界の青年に対する、比類なき、不朽の御金言であり、暗夜を照らす巨大な灯明となって、永遠に青年部の前途を照らすことであろう。
 遥か、明治維新の革命も、吉田松陰の尊皇の理論が、松陰の死後に久坂玄瑞、高杉晋作等の少壮気鋭の弟子たちによって、実践され、具体化され、実現されていったのである。
 全国十数万の青年部諸君、われらもまた、古人に遅れず、会長戸田城聖先生の遺弟として、われらの目的たる、信・行。学に励んで、各自の幸福を築き、さらに国立戒壇建立の大偉業を、りっばに果そうではないか。
 先生は会長就任いらい、七年にして化儀の広宣流布の原理と、基礎を完成なされた。
 理事長の下、青年部は次の七年をさらに信・行・学に励み、りっぱな人間革命を成し、次の七年には、社会において、また学会において、その中堅幹部として立ち、最後の七年には、広布の仕上げの闘争を遂行し、そして会長戸田先生の二十一回忌に、目的実現の決戦を、断行しゆく決意をもって前進しょうではないか。三月二十九日、青年部への最後の指示は『一歩もしりぞくな、追撃の手を弛めるな!』の指揮であらせられた。
 大樹ひとたび倒れたが、大樹の根に連なる若き青年部の樹木が、すくすくと育ち、やがて大空をおおう日も間近であろう。最後に、われら青年部も、今世の使命をおのおの遂行し、霊山会へ、会長先生に御報告にまいろうではないか。(当時、参謀室長)

1
1