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青年部こそ昭和の高杉・久坂 男子部幹部会

1958.4.10 「会長講演集」第3巻

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1  昨日、理事長は『会長先生は、青年に非常に大きな信頼と期待をかけておられた。今後も広宣流布達成のためには、青年部がしっかり活躍してもらわなければならない』という意味の話をされました。いままでも会長先生のもとに幾度かのいくさをしてまいりましたが、先生なき現在、この理事長を中心に、青年部長の指揮のもと、わが青年部は決然と、すべてに一歩前進したいと思うのでございます。
 彼の明治維新は、儒教とはいえ吉田松陰が示した原理を、松陰なきあと、その門下生である久坂玄瑞、高杉晋作などが実践して成し遂げたのでございます。同じく、大御本尊様を中心にし、広宣流布の原理を示してくださった会長先生なきあと、わが青年部こそ昭和の高杉晋作、昭和の久坂玄瑞であると、私は信ずるのであります。仏道修行の師匠である会長先生の遺志、勇気をもち毅然たる態度で力を合わせて闘争していけば、必ず広宣流布はできると信ずるしだいでございます。
 会長先生は『二十数年にして戒壇建立を実現する』という確信を申されたごとがございます。会長就任いらい七年にして、厳然たる化儀の広宣流布への磐石なる基礎は、おつくりくださっております。そして青年部にもあらゆる立場から訓練、薫陶をくだされてこられました。あと残されたのは二十数年です。
 次の七年までは、より以上、信心を決定させ、成人し、人材に育って、そしてまた次の七年目は、社会のりっぱな指導者になって、あらゆる方面で大御本尊様のお使いとして闘争しきり、そして最後の七年目には、広宣流布の仕上げをしていくならば、あと二十一年にして広宣流布は青年部の力によって必ずできると信ずるのでございます。
 会長先生就任いらい七年間、わが青年部は親衛隊とも旗本とも称せられて、先生にとくに愛され信頼されてまいりました。先生最後の本年元日の登山にさいしては、諸君の代表として参謀室がお山にお供させていただきました。また先生は一日の大講堂落慶法要にも、広宣流布の模擬試験をされた十六日の式典にも、青年部を中心として、出席を許してくださいました。また、会長先生が東京へお帰りになるさいにも、参謀室が代表でお供させていただきました。私は親衛隊としての任務は、第一段階はりっぱに果たしたと確信するしだいでございます。
 中外日報という新聞に、会長がなくなったあとの学会の姿を予想して、邪宗教の管長や僧侶または大学の教授や講師などが、いろいろ批判を書いております。だが、厳然と理事長がおられます。また、青年部約十万の精鋭がおります。いろいろな姿をえがいて外敵は見ておりますが、どうか『会長先生の残された、これだけの青年部の姿を見たまえ』こんなにりっぱに前進していく学会の姿を見たまえというようにしようではないか。しっかり、がんばっていきましょう。(当時、参謀室長)

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