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鉄の団結で宗教革命 男子部班長会

1958.2.13 「会長講演集」第3巻

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1  今度の三月の総登山は、たいへんな行事になりますが、男子青年部が、この栄えある、学会にとっても未曾有の総登山の陰の力となって、間違いなく輸送を担当していただきたいと思うのでございます。
 広宣流布のため日夜闘争している人々をば、大御本尊様の御前に、真心こめて事故なく御連れ申し上げるということは、必ず功徳があると思います。
 会長先生からも、全会員からも賛歎されるような行動であっていただきたいと思うのでございます。
 とくに、われわれがいつも反省しなくてはならないことは、幹部になると横着になってくる場合が多い。会長先生のいままでのお姿をみましたときに、バナナ売りや草履売りをなさったり、学校の先生または保険の外交をなさったり、牢へはいられたり、それからまた、家庭的にいろいろと、われわれの味わえないような御苦労もなさったりしておられます。それらのぜんぶが大御本尊様を中心にして、われわれを指導していただいている源泉になっておられます。
 社会一般の人々は、はじめは学会を組織のうえで『軍隊的』とみ、学者たちは『価値論』にとらわれて、日蓮正宗の深い哲学、教義に対してはなんら論じていない。大講堂の建立が日蓮大聖人様の仏法が全民衆に流布されていく大前提になるのです。
 会長先生のいままでの人生航路を拝しましても、まだまだ、われわれは学会のなかで甘んじて、自分自身に対し、きびしくしていく気持ちが足りない。生活のうえでも学会の行動にたっても、励ましあって自分自身にムチうっていきましょう。
 それから『団結』の姿ほど、美しく強いものはないのです。いまの世の中は、ぜんぶ、自界叛逆の相であると、会長先生はいわれています。団結している団体は創価学会だけです。広宣流布という目的に向かって命がけの団結です。とくに青年部は強い団結がなければいけないのです。
 諸君は職場や家庭に帰ったとき、寂しいことや、つらいこと、悩みもあるかもしれませんが、こういう会合にきた団結の姿は、家庭や職場においても、大きい自分の闘争の源泉になっていなければならないのです。
 団結ということが大事です。同志を信頼できる、信頼できる同志。それが乱れてきたならばぜんぶバラバラです。組織はあっても、闘争の団結が乱れるのです。わが男子部は、断固として広宣流布の日まで、鉄のごとき団結でいくという信念で進みたいと思うのです。団結、団結です!
 『永遠の都』という有名な本があります。これはロッシという青年が、理想のローマ帝国をつくるために、命をかけて政治革命をしていく弱冠二十何歳の青年の物語です。そのロッシが新聞を発行し、演説をうち、選挙をし、戦って戦って、最後に迫害をうけて治外法権の教会へ逃げてしまう。
 そのときに、ブルーノーという同志が検察庁に捕まってしまう。そして『ロッシがおまえの女房をとったぞ。あいつはインチキ野郎だ。おまえは革命運動なんかやめろ。やめれば出してやる』とおどかされたのです。もしもやめなければ死刑だ。だが、ブルーノーはあくまでもロッシを信頼しているのです。
 検察庁は、なんとかして転向させようとするが、ブルーノーは絶対に転向しないのです。そして『ロッシ万歳! 私はロッシを信ずる。革命間近なり。万歳!』といって死刑台で死んだ。外道でも、それだけの信頼と結合があるのです。いわんや、われわれは大御本尊様のもとに、過去においてもいっしょ、現在もいっしょ、未来もいっしょに生まれてくるのだもの、世界最高の清らかで、強い団結の男子部でいこうではないか。
 終戦後に選挙権をとった二十代の青年が、どういう思想を支持するか統計をとってみると、自民党などいないそうです。社会思想か、共産思想ばかりだそうです。自民党などに、いまの青年を率いる指導者と信念がない。今後は保守的な思想は滅んで、新しい芽が出てくるのです。社会党あたりは、いまの自民党のような立場にきてしまうのです。
 時代は大きく刻々と回っているのです。そのときは、今度は諸君が、また、われわれが『新社会主義』になるのです。日蓮正宗の王仏冥合の思想意外にはないということは歴史的必然です。ひとつの時代の方程式です。絶対そうなると、先生は断言していらっしゃいます。
 スターリンだって、周恩来だって、毛沢東、孫文、ネールだって、皆、一生一代で革命しているのです。有名な辛亥革命、清国の次の革命ですが、あのときは、孫文も蒋介石も同志なのです。十代、二十代なのですから。ちょうど、いま、われわれが戦っている年齢なのだよ。彼らの革命は一歩間違えれば牢獄です。いつ殺されるかわからない。ネールだって、九回も牢獄につながれて、十三年間もはいっている。そこまでやって、皆、革命しているのです。われわれは御本尊様に、そして会長先生に守られている。それで退転するようだったら、よほどどうかしている。
 それで、青年部には、どうもまずいクセがあるのです。無理をすることが即信心が強いということのように錯覚する。無理即信心の強さではないのです。ことに幹部の人は、指導するとき、相手に無理させないように注意して、根本を教えてあげるのです。判断して、よくみてあげなければいけない。ただし要領のいいものは別です。
 また、部隊長や隊長につかえることが功徳があるように思うのは、間違いなのです。先輩につかえることは、後輩の立場としてとうぜんだが、それが絶対みたいにさせたら行き詰まってくる。部隊長、隊長につかえていくのは、信心を伸ばしていくための機構なのです。あくまでも御本尊様につかえていくことが根本です。
 もうひとつは、どういうことをやっても、自分の勉強にしていくことが大事です。青年時代はあらゆるものを吸収しなければいけないのですから、そういうふうに精進していくことが本因ということで、それで初めて本果になるのです。大社長にも、大政治家にもなるのです。もう事たれりと思ったら、おしまいです。そして自分の生活を確立し、経済的にも考えていかなければならない。今月はもう千円しかないとなったら千円以内で動く。そこに功徳があるのです。規則正しい生活をし、あとはからだに気をつけて自重自愛していきなさい。(当時、参謀室長)

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