Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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国士訓の精神 青年部員に与う

1957.12.27 「会長講演集」第3巻

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1  『青年よ国士たれ』というのは、創価学会の青年は宗教家ではない。自分の仕事を捨て、境遇をないがしろにしたりして仏法を流布していくのではない。日蓮大聖人様の生命哲学を根幹として、個々の境遇に立って、身・口・意の三業の信心をもって民衆を救っていくのだよと、これからの青年部のありかたを示してくださったのです。
 『われらは、宗教の浅深・善悪・邪正をどこまでも研究する。文献により、あるいは実態の調査により、日一日も怠ることはない』
 文化も、経済も、科学も、また事業も、すべて生命が根本です。その根本問題の解決の方法が宗教である。われわれは、この宗教は迹門の哲学か、人類を救いきっていく一念三千の哲学であるかと、浅深、善悪、邪正を、どこまでも研究していく。『文献により』とは、経文や御書であり『法によって人に依らざれ』あくまでも、釈尊、天台、伝教として日蓮大聖人様の御書による。『実態の調査により』とは、体験発表です。人類を根本から救っていく行き方を忘れてはならない。
 『いかなる宗教が正しく、いかなる宗教が邪であるか、またいかなる宗教が最高であり、いかなる宗教が低級であるかを哲学的に討究する』キツネを拝む宗教、低級です。天国、心だけの哲学、低級です。色心不二の、宇宙の根源、生命の本質を説ききった日蓮大聖人様の宗教が最高である。すなわち、青年部が、よく大聖人様の仏法を中心に勉強していかなければならない御指示とも、うけたまわれますね。
 『また、いかなる宗教が人を救い、いかなる宗教が単なる観念的なものであり、いかなる宗教が人を不幸にするかと、その実態を科学的に調査している』われわれの行動は、ぜんぶ科学です。よく先生が『文部省の宗教課へ、各宗派の信者百人を集めて、十年目にその百人がどのようになるかということを提案した』といわれる。そうすればハッキリするが、どこも恐れて応じないのです。
 『しこうしてその要をえて、日蓮正宗こそ真実であり、最高の宗教であることを知った』内外相対。天理教や共産哲学やキリスト教などの外道より内道のほうが高い。仏法の中に大乗教と小乗教。権教は仮の教え、実教は生活。それから本迹相対、迹門は理、本門は事。そして人生を究極から救うのは一念三千の下種の仏法であるということを知った。
 『かかるときにおちいりやすき考えは、われらは宗教家であるとの錯覚である。われらはけっして宗教家であってはならぬ。しからば、われらはいかなる見識を持つべきものか』われわれは宗教で生活を立てていく宗教家ではない。あくまでも宗教を身・口・意の三業で実践して、宿命を転換し、日本を、東洋の民衆を、また世界の人々を救っていくのです。
 『吾人は叫ぶ“諸君よ! 諸君らは吾人とともに、日蓮正宗の良き信者であり、後世に誇るべき国士であるとの見識の上に立て”』と会長先生は、諸君にいってます。青年部の諸君らは、先生とともに日蓮正宗のりっぱな信者であり、大聖人様の教えを根幹に、人々を、社会を、国家を東洋を救っていくという国士であっていただきたい。
 『そもそも、吾人らが正しき宗教を求めたゆえんのものは、この地上の不幸がその原因である』われわれが大聖人様の哲学をもって戦っている理由は、時代も、生命も、思想も、すべてが濁りきっているこの五濁の時代が原因である。
 『諸君よ、目を世界に転じたまえ、世界の列強国も、弱小国も、ともに平和を望みながら、絶えず戦争の脅威におびやかされているではないか』あくせくと、自分のことだけを考えるのではなく、国を、世界の情勢を、仏法に照らして見ていきなさい。アメリカや、ソ連の大国も、パキスタンやユーゴなどの弱小国も、たえず戦争におびやかされている。ソ連からうてば、どこへでもとどくという大陸間弾道弾、いまの飛行機も、ジェット機も、ぜんぶ博物館へおさめればいいという時代です。したがって、大悪は大善の瑞相で、どうしても、世界を指導しきっていける力ある指導理念の宗教が必要なのです。
 『一転して目を国内に向けよ。政治の貧困・経済の不安定・自然力の脅威、この国にいずこに安処なるところがあるであろうか』また一転して日本の国情を見てみよう。政治の貧困・派閥です、権力です。経済の不安定、物はあるが、月給はさがる。株はさがる、国際収支は悪い。輸入のみ多くて輸出は少ない。自然力の脅威、台風のたびに都市が破滅し、そのたびに何億という予算が追加される。会社では労使が争い、学校へ行けば勤務評定でごたついている。
 『国に華洛の土地なしとは、この日本の国のことである』国にしあわせな、安住の地がないとは、日本の国のことをいっているのである。
 『隣人を見よ!
 ここはこのとおりです。みんな貧乏人ばかりですよ。肺病も多く苦しんでいます。民族が衰退しているみたいな現状です。民族が伸びるときは、力ある新しい思想、哲学を、宗教を要求するのです。それが日蓮正宗です。物価は高くて月賦の洋服ばかり、それも払えない。税金攻勢。りっぱな事業をしているようでも、経営は不振で、心に悩みをもっている。ほんとうに、しあわせな人は、ひとりもいないといっても、過言ではないのです。みんな九界の衆生ですから。
 『また肺病と宣言せられて、生きる心地なき者、小児マヒの子を持ちていずこに訴えるすべなき者、せむし、盲、つんぼ、胃癌等、どうしようもなく神も仏もなきかとつぶやく者のみである』生活をしていくということは、地球上に生まれた運命なのです。その苦しい、悲しい、生活を打開していくところに、宗教の発生があり、その信仰の対象は絶対のもの、すなわち御本尊様によってのみ救われるのです。
 『不幸よ! 汝はいずこよりきたり、いずこへ去らんとするか。目をあげて見るに、いま国を憂い、大衆を憂うる者はわが国人に幾人ぞ。国に人なきか。はたまた利己の人のみ充満せるか。これを憂うて、吾品は叫ばざるをえない、日蓮大聖人の大獅子吼を!』名文ですね。大聖人様は『いっさいの不幸の根源は邪宗邪義による、これを知れるは日蓮唯一人のみ』とおおせです。会長先生は牢のなかで、この開目抄の一節を非常な驚異をもってお読みになり、びっくりなさったそうです。
 われわれも、会長先生の指導どおり信じて、折伏行に励んだ結果、その原因は邪宗教にあることがはっきりわかってきた。人々がなんといおうが、事実は事実なのです。自民党がいくら国を救うといっても、自分のため、党派のためです。共産党が暴力や破壊をもって救うという錯覚におちいっているようなものです。精神的悩み救えないものの哲学で、人類が救えるわけがない。まことに日本の国を救うという情熱の人はいないのか、利己主義の人ばかりなのか。日本民衆、東洋民族、子孫末代のために日蓮大聖人様の大獅子吼を叫ばずにはいられない。
 『我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず』これは開目抄の大聖人様が仏様であるという依文です。『我日本の柱とならむ』主の徳ですね。『我日本の眼目とならむ』師の徳、『我日本の大船とならむ』これは親の徳ですね。主師親の三徳を表わしている御書。そして『其の外の大難・風の前の塵なるべし』とおおせです。三大秘法の仏法を破られるということが、自分の最大の大難だ。そのほか、島流しにされるとか、悪口誹謗とか、迫害されるなどということは塵のようなものだ。しかし、永劫不滅の人類救出のただひとつの哲学は絶対に破る人はいないのだ。
 『此の大獅子吼は、われ三徳具備の仏として、日本民衆を苦悩の底より救いいださんとの御決意であらわれる。われらは、この大獅子吼の跡を紹継した良き大聖人の弟子なれば、また、ともに国士と任じて、現今の大苦悩に沈む民衆を救わなくてはならぬ』この開目抄の御文は、御自身が末法の御本仏であり、日本民衆を苦悩の底から救いいださんとの大宣言なのである。大聖人様に、立宗七百年を中心にして『広宣流布させていただきます』と誓った若き地涌の菩薩なれば、その自覚に立って、原子爆弾であるとか、ミサイルであるとか、あらゆる悩みきっている民衆を救わなければならない。
 『青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう。かくして、国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである』ここは自分自身が御本尊様をきちっと信じて、毅然と自らの使命に立ちなさい。ひとりひとり使命があって生まれ、御本尊様の弟子となっているわけですから。あの人が退転したから、自分も退転しようなどというのではだめだというのです。『青年よ一人立て!』戸田先生の弟子としての誇りをもって、大聖人様のおおせどおり信・行・学に励みなさい。そうすれば、必ずあとに続いてくる。自分から立ちなさい、自分から実践しなさいという意味なのです。かくして、十万の国士あらば、広宣流布はできるであろうというおことばです。
 『青年は国の柱である。柱が腐っては国は保たない。諸君は重大な責任を感じなくてはならぬ』青年の団結と情熱によって、一国の運命は決まるということは歴史が示すところです。中国の毛沢東や、周恩来は、中国民族の平和と幸福のために戦うと、十代、二十代から団結して革命運動に走った。ネール首相も、やはり二十代から、インドの自由と平和と独立のために、身命をかけて戦いきった。スターリンも、また十四歳から革命の戦いにはいっており、敗戦のドイツは、青年が団結してドイツの復興を叫んでおります。
 いわんや、東洋の指導国であり、大聖人様の仏法をいただいているわれわれが、彼らに対すること百千万億倍も力をもって日本の柱となっていかなければならないことを知らなければなりません。青年に思想がなく、情熱がなく、国を思う一念がなくなったならば、もう日本の国の運命はありえない。したがって、諸君は重大な責任を感じなくてはならない。
 『青年は日本の眼目である。批判力猛しければなり。眼目破れてはいかにせん。国の行く手を失うではないか。諸君は重大な使命を感じなくてはならぬ』世界の情勢からみて、日本としてどのように生くべきか、どの哲学をもち、どの指導理念をもって日本を復興すべきかを、批判力きびしい青年が、はっきりと把握していきなさいよ。青年に向上心がなく、求道精神がなくなったならば、国の将来は真っ暗である。老人は保守的です。青年はこれからの時代を背負う使命をもっています。それをはっきりみきわめていきなさいよ。
 『青年は日本の大船である。大船なればこそ、民衆は安心して青年をたよるのである。諸君らは重大な民衆の依頼を忘れてはならぬ』平安朝の文化を築いたのも青年、明治維新の革命をなし、あの近代文明を築いた原動力も青年であった。しかし、青年が悪い指導者、悪い哲学に準じて動いたならば、怒濤のごとく国を滅ぼし地獄をつくってしまう。正しい理念、正しい宗教によってこそ、偉大な文化、文明が築かれていくのです。したがって、大聖人様の哲学を、力強い青年の力をもって流布し、りっぱな大芸術家に、大政治家に、大経済家になって民衆を守っていくべき使命があるのです。
 『諸君よ! 良き日蓮正宗の信者として強き生命力を養い、誉れある国士として後世に名を残すべきである』
 生命力がなく、情熱がなかったならば、会長先生の期待にそえません。ぜんぶ、生命力が源泉なのです。いくら頭がよくても、肉体がきかなければ動きません。いくら丈夫でも頭がなくてはだめだ。色心不二です。会長先生は『二百年先をみて戦っているのだよ 二百年先になればなんなびっくりし、必ず名が残るよ』とおっしゃったことがありますけれども、愚人にほめられるのは智者の恥辱です。大聖にほめられることは一生の名誉です。
 信心から出る力、教学から出る力、生命力を養って、必ず後世に名の残るような名誉と襟度をもった国士でやっていきなさい。これが青年部なのです。(当時、参謀室長)

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