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日蓮大聖人・池田大作

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学会から離れるな 男子部班長会

1957.12.5 「会長講演集」第3巻

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1  『離れてはいけない。ついてこい、ついていこう』というが、また、いわれるが、このことはもっと大事なことと思う。
 『過去の生死・現在の生死・未来の生死・三世の生死に法華経を離れ切れざるを法華の血脈相承とは云うなり』と、御書にあります。御本尊様から離れず、会長先生から離れない。部隊長は会長先生から離れない。隊長は部隊長に、班長は隊長に、分隊長は班長に、しっかりついていかなければならない。
 よく部隊長を守るとか、隊長を守るとか『守る』ということばをつかう。分隊長が班長を守ったり、班長が隊長を、隊長が部隊長を守るのではなく、先輩についていくということが大事なのである。分隊長は班長についていく、また班長は隊長に、隊長は部隊長についていく。
 われわれは、あくまでも御本尊様につききることにより、御本尊様から守られる。会長先生につくがゆえに、先生に守られる。そして、幹部は部員を守り、部員は先輩についていく。これがほんとうの学会のありかたである。自分を守れという訓練や指導をしたら、そこに重圧を感じさせることになる。はじめは海兵の兵士も、陸軍の士官も、憂国の情熱からはいったのであるが、だんだんと地位があがって偉くなると、金や権力をもちたい、いばりたいという野望をもつようになって、軍閥となった。
 一生成仏ということこそ、信心の目的である。だんだんと偉くなり、また年もとるが、青年部は御本尊様を中心にして、その組織は、あくまで純真でいきたい。濁っては絶対にならない。
 北海道の帯広に、依田勉三という開拓者がいた。雪の帯広を開拓しようとの決意に立って出かけるとき『丈夫が北海の地と定めしを風吹かば吹け波たたばたて』という歌をもって立った。りっぱな帯広の地にしたいと、一生懸命に開拓したが、収穫時に蝗の大軍が来襲して全滅してしまった。
 この姿をみて、多くの人が依田勉三のもとを去った。そのとき『とめるな。自分はこの地に一生を埋めることにしたのだ。いつかは春がくる。帯広の人々を幸福にしたいのだ、一度や二度で屈してなろうか』といって、がんばって最後に勝利を得たという話がある。
 いま、われわれが御本尊様におめにかかって、会長先生の弟子として活躍できる。われわれから学会の名をとったら、なにも残らない。隊長また班長として、その立場を守り、喜んで戦い、班員を愛し、御本尊様から絶対離れないということからすべてが解決される。
 『こんなにやっているのに、少しも功徳がない』というのは疑いである。必ずよくなると決めきっていくことによって、確信がもて、希望が生まれ、実践の楽しみが湧き、功徳があらわれ感謝の念が湧き、このことがかえって信心を倍増させるという結果にもなるのです。『青年部員は必ずよくなるのだ』と決めて確信をもって進んでいってもらいたい。
 『来年は来年はとて暮れにけり』という歌があります。また『一年の計は元旦にあり』という句もありますが、来年にはいったら、なにをしようかといっていたのでは遅い。一月になれば、また来年は……といっているうちに、また来年になってしまう。もし決意し、発心するならば十二月からするのが、とうぜんであると思う。
 『仏法と申すは勝負をさきとし』学会青年部は、火の玉となって、どんなことがあっても、絶対に負けないという青年部にしたい。(当時、参謀室長)

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