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日蓮大聖人・池田大作

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富楼那の仏道修行 女子第二部隊総会

1957.6.10 「会長講演集」第3巻

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1  まず、青年部は、あくまでも忍耐強く、魔に負けないで闘争し、修行しきれる自分というものをつくってもらいたいと思うのであります。
 一年をみても、雨の日もあれば、風の日も、雪の日も、台風の日もあるごとく、われわれ青年期の仏道修行は、経済的にも、精神的にも、あらゆる面で、苦しいことがあると思います。しかし、しっかりと御本尊様を護持して信・行・学を身につけて、りっぱに今世の使命を達成できうる大信者に、みんながなっていただきたいと要望するしだいであります。
 釈迦の有名な十大弟子のひとりに富楼那という人がおりました。この人は説法第一といわれた弟子でありますが、この説法は、すなわち、いまでいえば雄弁第一ということですが、その人が夏になって、自分の故郷へ帰って、修行したい、折伏したいとお釈迦さまにお別れのあいさつをしに行ったときに、釈迦は富楼那に向かって『おまえの田舎は非常に機根の悪い衆生がいるところである。いろいろな迫害が必ずあるだろう。そのとき、富楼那君、君はどうするか』と問われた。
 そのとき、青年富楼那は『お師匠さま、私は仏道を修行しております。必ず、仏さまの慈悲をもって悪い衆生を救ってまいります。もしか、悪い衆生が私を謗ったならば、私はこぶしをもって打たれなかったことを幸いと思います。もしこぶしをもって私を打つならば、私はツエをもって打たれなかったことを幸いといたします。もし、ツエをもってみんなに打たれたなら、私は刀をもって切られなかったことを幸いといたします。もし、刀をもってわが身を切られたなら、これでわが身が三毒を離れ、宿命打開ができたということを喜びます』と、いったのであります。
 かつて、ドイツの国が第一次世界大戦で大きな敗北をしましたが、思想、哲学をうんぬんするわけではありませんが、大戦後、ひとりの指導者のもとに、キリスト教信者の青年が十万人集まって祖国の復興に立ち上がったという有名な話がこざいます。
 このとき、ヒンデンブルグが大統領になり、祖国の復興をめざしたときに、そこに馳せ参じた青年は、何百万といわれております。ボロの着物を身にまとい、クツも満足にはかない青年が、どうしても、祖国ドイツを救うのだと共鳴し合ったという偉大な民族の流れをみるときに、どうしても、これからの日本、これからの東洋を救うのは、日蓮正宗創価学会の青年部以外にないと断言できるのであります。
  そして、その指導者は、われわれの大師匠戸田城聖先生以外には、また断じていないことを強く胸にきざんで、あすからの戦いを力強く進んでいただきたいと思うのであります。(当時、参謀室長)

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