Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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学会青年部員に与う 聖教新聞紙上

1957.2.24 「会長講演集」第3巻

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1  一、師弟相対と青年部
 日蓮大聖人様と日興上人様は、二十一歳の年の開きがあり、先師牧口先生と戸田先生は二十九歳の開きがあります。また古今の歴史をみてもそうで、ソクラテスとプラトンのように、すべて師弟の方程式は年齢的相違があります。また親の跡を継ぐのはむすこです。すると、とうぜん、次の支部、学会を背負って広宣流布していくのは青年だ。現在、支部、地区の人たちの闘争も、われわれが檜舞台に立つときのために土台をつくってくれているのです。したがって、いまヤキモチなんかやく必要はないのですよ。
 さて、青年は年齢からみても、感受性からみても、また清らかなわこうどの心性(精神)からみても、師匠の意思は青年部に受け継がれているといっても過言ではない。とくに戸田先生と青年部との関係は、親子のあいだがらであり、親の意思を子供が継いでいくのはとうぜん。また師匠と弟子の立場からいえば、師匠から教わったことを、弟子がそのまま実行するのはとうぜんです。また主君と従者の立場からみても、従者は主君のあとに従い、主君は、ひとつの目的を達成するために、真の従者に遺命されていくことはとうぜんです。
 大聖人様が青年階級に、日興上人も本六、新六等の青年階級に真の仏法を教えていこうとされていたことでしょう。われわれか学んだところの先生の御構想を、大きく実践し、大きく活動していくときは、年齢的にいちばん円熟した四、五十代にあたる。
 結論として、師弟相対を離れた仏法はなく、成仏はありえないのです。組織などは広宣流布をしやすくするための方法で、どんな組織でも、その根幹に師弟相対の考えが流れていなければ、なんにもならない。すべて戸田先生につけばよい。すべて先生の御命令で、指示で動いているのだと感じればよい。これはかんたんにいいあらわされるが、いちばんむずかしいことでもある。この精神が浸透できればよいのです。根幹は先生対自分ということ、再応は部隊長対、あるいは隊長対一青年部員の関係です。どんなに人知れず陰で働いていても、それが先生のおおせのとおりやっているならば、先生との師弟関係は深い。これがはずれていたら、どんなに闘争しようとも、なにもならないのです。御本尊様を信ずる、すなわち、折伏の棟梁である戸田先生を慕って戦ってこそ、功徳も感じられ、真の弟子ともいえるのです。
 要するに、先生の弟子であり、子供であり、先生のおおせを無二に信じて、自分の境遇のなかで思う存分活躍することだ。ここから信心が湧いてくる。
2  二、青年訓と青年部 
 この青年訓を、くわしく話せば、ずいぶん長くなりますので、それは別の機会にゆずり、ここでは、かんたんに話しましょう。
 これは当時の『班長に与える』として出されたもので、また青年部全員に与えられたものです。ここに、ひとつの不思議なものを感じなくてはならない。なぜなら、あの時代の班長は、いまほとんど部隊長、部隊参謀になっているからです。これは、班長は、なんといっても中堅幹部であり、班長がわかれば班員に意思をしみこませることができる。戸田先生が、班長を皆、将来、東洋の指導者にさせたいと思う慈悲の一念であります。
 青年訓は青年部員の信心修行、師弟相対全体がふくまれていて、青年部員の指針である。したがって、青年訓のための青年訓であってはならない。これを自覚し実行しきるものが、真の先生の弟子、子供であり親衛隊であるという意味がふくまれている。
 いいかえれば、青年訓を実行できないような青年は、戸田先生をけがすことになるのです。師匠が偉ければ弟子も偉くならなければだめだ。『真の私の弟子はかく育っていけ、このようなもので真の弟子だ』と教えておられるのです。いつも闘争につかれ、また悩み、行き詰まったとき、私は青年訓を思い出し、また人にもこれを教えている。
 さて最初に『新しき世紀をつくるものは青年の熱と力である』とありますが『新しき世紀』とは広宣流布されたときをさし、東洋仏法の真髄によって打ち立てられた寂光土のことです。また『青年の熱と力である』とは、われわれ学会青年の信心からほどばしりでた情熱、教学で養われた自己の力、また団結の力である。
 そして第一段に、学会の目的は広宣流布以外にない。大きく論ずると、歴史的流れからみても、東洋の文化国家の建設、世界の平和も、末法の御本仏・日蓮大聖人様以外に断じてできない。すなわち個人個人の宿命打開、幸福生活の確立も日蓮正宗以外になく、これを示していくのは、われわれ青年しかいないのだといわれている。
 第二段は、仏法の方程式のうえから、われわれ青年に自覚をうながされている。
 在世の法華経流布は、舎利弗等の当時の若き青年部員によって行われ、末法も大聖人様門下、日興上人を中心とした青年によって弘通されたのではないかと、そして『東より西に向かう大聖人の仏法も』とは、実践のうえから化儀の広宣流布をかんがみて、学会青年部の力によって東洋広布へ乗り出せというのです。
 第三、第四段は、そのまま自分の身に実行していけばよい。
 第五段で『広宣流布の時は近く』とあるが、化儀の広宣流布のときは近いのだ。
 あと二十数年後に広宣流布をひかえているとは、戸田先生の大確信であり、仏法上の方程式なのです。題目流布が終わり、現在、本尊流布の真っ最中です。学会が、ことし八十万世帯もの折伏をやろうとするのが、これをあらわしているではないか。
 次に三類の強敵のなかの二類まであらわれている。一流評論家とか新聞記者が学会を弾圧すべき原因の記事を啓蒙していっている。これは三類の強敵であります。
 『ゆえに、三類の強敵は、まさに現れんとし、三障四魔は勢いを増し、外には邪宗、邪義に憎まれ、内には誹謗の声ようやく高し』とあるが、ここは、広宣流布は会長先生がやられるということを述べられ、折伏の大棟梁としての大確信なのです。
 そして観心本尊抄の最後にある四菩薩の決意であり、戸田先生が第二の法難を勝ち抜いたすがたをあらわされているところであります。
 『驚くことなかれ、この世相を。こは、これ、聖師の金言なり』とは、大聖人様御予言の広宣流布の瑞相であり、三世を知る仏の予言の一致なのです。『されば諸君よ』とは、青年部員よ、心を一にして、師弟相対にして自分の心を受け継いで、自分自身が思う存分の活躍をし、楽しく戦って使命を果たし、成仏したまえということなのです。
 世間的な地位や名誉はどうでもよいではないか。真に地涌の菩薩であるとの確信をもったら愚人にほめられることは第一の恥辱です。『心して御本尊の馬前に屍をさらさんことを』とあるが『心して』とは、信心をもってということです。
 偉くなくとも、また金持ちにならなくとも、どんなすがたでもよい。信心に立ち、御本尊の馬前に使命を果たしていったら、それでよいではないか。
 青年訓を読む心がまえは、御書を読むのと同じです。もうひとつは、直観的というか、直観なのです。すなわちほんとうに時代にめざめ、また先生の御精神がわかれば、理屈抜きに『ああ、そうだ』と感覚的に流れてくるものがあります。
 『闘おうではないか! 青年諸君よ』この一句には、万感がこもっています。大きく、すがすがしい、暖かい慈愛のこもったことばです。まさしく人類救済への師子王の叫びである。師とは師匠であり、子とは弟子で、これは、師弟不二を意味しています。だから、師弟相対して、われわれ青年部が、これに共鳴していかなければなりません。この一句には、前後のことが、きちっとそなわっていて、じつに永遠にかおる名演説です。
3  三、国士訓と青年部
 『青年よ国士たれ』という題号は、会長先生の御意思からみれば、青年部は宗教家や教育家、哲学者になるのでもなく、あくまで末法御本仏、東洋の救世主たる日蓮大聖人様の宗教を基盤として、国家を憂い、国家を救うという『丈夫であれ』ということです。
 国士とは、壮士とか、勤皇の志士とかあるが、こういうものではなく、もっと深く大きい意味がふくまれているものです。せんじつめれば、政治家、経済家で国家を救う国家観ではなく、宗教革命をもって根底から日本国を救う青年であるということです。
 第一段は、全宗教の正邪というものを、学会のみが追究していることが述べられています。『われら』とは学会全体をさし、再応は青年部全体であり『宗教の浅深・善悪・邪正を……科学的に調査している』とは、人類をしあわせにする宗教か、不幸にする宗教か、仏説によった宗教か、我見によってできた宗教であるか、どこまでも哲学的に研究する。
 経典や御書、論釈、歴史等により、あるいは実態調査(体験や統計)によって究明することを、一日なりとも欠かしていない。生活即仏法なるゆえに。学会のみが、低級宗教や最高の宗教すなわち、真実に人類を救う宗教というものを科学的に調査している。
 第二段『しこうして……見識の上に立て』についていえば、しかして、その研究の実態をもって日蓮正宗だけが最高真実の宗教なることを知ったのである。
 しかし、われわれは宗教家であるとか、宗教家になったのだという錯覚におちいってはならないという戒めです。そうであるならば、われらはいかなる自覚をもって立つべきであるか。
 会長先生は、私たちに叫ばれ、指針を与えてくださっています。すなわち『諸君よ! 諸君らは吾人と共に、日蓮正宗のよき信者であり』と叫ばれ、また『後世に誇るべき国士であるとの見識の上に立て』すなわち、日蓮正宗の哲学を根本として、国家論、世界観に生き、日本国家を、世界を救っていき文化と平和の世界を築けとおおせです。
 宗教家とは、ひとつの宗教なり、哲学をもって生計を立てている人で、それを宗教屋とか宗教家といいます。いまの立正佼成会、霊友会等の邪宗、賀川豊彦や内村鑑三はその例です。
 第三段は、会長先生が日蓮正宗によって、いっさいを救おうとなさった自覚です。そもそも吾人ら(会長先生)が、正宗を求めた理由は、地球上に不幸が充満していることから、正しい宗教を求めたのです。そして、青年部に激励されているのです。
 諸君よ、第一番目に目を向けなさい。世界の列強国も弱小国も、しあわせに暮らそうと思って、戦争の憂いをもって、戦争の脅威にされされているではないか。キリスト哲学や共産哲学ではどうにもならない世界なのです。
 次に、日本国内の現実をみなさいといわれて、宗教革命により、政治、教育の革命もできるとの指導理念が日蓮正宗なのである。隣人を見よ! 道行く人を見よ!とは、日本の同胞を見よということで、貧乏、病気そのほか種々の悪重病に苦しむ姿はどうしようもなく、神も仏も力がない姿ではないか。
 第四段では、この根本的不幸の原因は、どこにあるか。この不幸を解決せんとして、国を、大衆を憂うるものは日本国にいるであろうか。利己主義の人のみ国に充満して、国を憂うる人はないのだろうか。だから会長先生は、この憂いを見て叫ばずには居られない、日蓮大聖人の大獅子吼を! この大獅子吼は、主師親三徳具備の末法御本仏として、全日本民衆を不幸より、苦悩の底よりお救いくださらんとの大宣言であらせられる。われわれは、この大聖人様の大獅子吼の哲学(指導理念)を承継した、よき大聖人様の弟子なれば、ともに国士と自覚して、現今の大苦悩にある日本民衆を救う戦いをせねばならない。それは、邪宗との闘争であり、本尊流布につきるのです。
 第五段は、青年に対して、会長先生が奮起をうながされています。『青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん……』とは、会長先生の青年に対する激励は悠久不滅の哲学というか、金言です。
 つづいて、国に十万の精兵が、国土ができるならば、広宣流布の実現は明らかであるとおおせです。
 そこで『青年よ、一人立て!』とは、如来の使いとの自覚に立って、自分自身が、まず、使命を完遂せよということであります。
 『青年は国の柱である』すなわち、いまの日本では、学会の青年部こそ国の柱なので、この重大な責務を感じなければならない。また、会長先生とわれわれの立場からみて、青年部は次の学会を背負うというところから国の柱といえます。
 『青年は日本の眼目である』とは、青年時代は純粋なる生命をもち、新しいものへの革新的気性がある。いわゆる一定のものに安住できず。なにか向上していこうとする、色心ともの欲求が強く、最後に安住できうるもの(わりきったもの)をつかみたいのです。だから『批判力猛し』といわれている。
 より高き、正しい哲学を究明し国家の指導原理にしていくべきときに、最高唯一の最高哲学を知ったのが学会青年です。したがって、国の眼目となって、日本の行く手を、思想を、あやまりなく指導していかねばならぬというのです。教学部員の大半を青年部でしめているのはその証拠です。
 『青年は日本の大船である』これは国家を思い、国家のために殉ずる決心のあるのが学会の青年部であり、青年部こそ、大聖人様の仏法を信心している善人の集まりであるがゆえに、民衆も安心してついてこられるのです。
 学会内にあって、あらゆる行事(輸送班がその一例)等で学会の依怙依託となっていることは、すなわち全民衆の依存に通ずるのです。
4  四、国士十万と青年部
 ことしは、札幌、東京、大阪の三か所で青年部総会と体育大会が行なわれる。これは、国士訓の『国に十万の国士あらば、苦悩の民衆を救いうること、火を見るよりも明らかである』という、会長戸田先生の広宣流布への青年部に対する構想にもとづいての出発であります。できうるなら、北海道二万、東北二万、関東二万、関西二万、九州二万計十万と、基本はここにおき、第一歩のこころみとして全国を三か所に分け、青年部独自の活動を展開していくわけです。
 遠方の青年部同志は、なかなか会長先生および青年部大幹部に会えないという点から、価値的に関係のある国士世間を中心にして青年部の姿をみ、それから青年部に接してもらいたい。自分自身の国士の充実をはかれないものが、どうして遠大な戦いを成就することができようか。できうるわけがない。この意味にもとづいているわけです。したがって、今度の総会、体育大会は、思いきってやってもらいたい。
 体育大会は、体育の向上もあるが、広宣流布への団結の訓練であり、青年部一年間の向上、戦いというものの総決算等にあり、来年度への出発という意義があります。会長戸田先生はじめ大幹部が出席されるので、本有無作の姿で乱舞してほしい。
 彼のドイツのヒットラーを中心にしたオリンピックにまさるものを実現したい。
 彼らの団結は、野心と復讐のため以外にはなかった。われわれの団結は、暖かい会長戸田先生の慈愛につつまれた道理と慈悲の活躍であり、国を愛する姿なのです。青年部で、青年部体操でもつくろうではないか。
 会長戸田先生が、青年部第一回の会合があったとき『諸君は名士になれ、青年は名士に育て』といわれた。諸君が信、行、学に励んで、みんなが社会的にも偉くなっていく姿が、広宣流布のなされていく姿になる。したがって、青年部時代の十年間は、ひたすらに自己の研鑽に、信心一途に励む以外にない。自分に与えられた位置を天職と信じ、力の出し惜しみをしてはならない。最大の力を発揮して育ち、生き抜いていただきたい。
 広宣流布をなすための構想は非常に大きい。会長先生の手駒となって、いつ指示をうけてもりっぱにやりきる申し分のない人材に、自己を築きあげていくことです。とくに、ことしは文武の二道に分けて、文の闘争、すなわち、教学の年であらねばなりません。(当時、参謀室長)

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