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日蓮大聖人・池田大作

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進まざるを退転という 男子部幹部会

1956.12.4 「会長講演集」第3巻

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1  諸君も近ごろ本をずいぶん読んでいると思いますが、太閤記を読むと、秀吉は、人生観や政略は別にしても、いつでも人に親しまれていたことがわかる。とくに長として部下から慕われていたという点が、大きな人格といえると思います。もうひとつは、秀吉のものは、みな信長から吸収し、教わっている行き方である、秀吉は闘争にのぞんでは全力を尽くし、外交には真実をもって戦っていく将軍であった。
 われわれ幹部も、まず御本尊様を中心として、大勢の青年部員から慕われていく幹部でなければならないと思います。もし検事や警官のような態度が幹部にあったら、たいへんなことです。そして部下が、その幹部を依怙として信じてくるようでなければならないのであります。
 仏法の根底は師弟相対です。どういうふうに会長先生の意図を実戦していくか、講義、書物を通じて、思索し、吸収し、戸田先生をいつも念頭において戦っていく信心こそ、まことの師弟相対といえると思います。
 秀吉が、外交において真実こめて、戦わずして多くの成功を得ていくように、同じく、われわれも御本尊様にいつも照らされていることを信じ、真心をもって折伏し、自覚をもった青年部員であってほしいと思います。
 五十万世帯の折伏完遂については、私も先生の弟子としておおいに心配しています。彼の家康をあらしめたのは旗本八万騎がおったがゆえ。したがって、徳川三百年の歴史が守られた。また宗門においても、本六、新六等の若き青年幹部が教団を守る中軸となって現在にきております。親衛隊として自負しているわれわれが、いま五十万完遂の目的に対して、旗本として、名実ともに若々しい働きをするのはとうぜんだと信じます。
 進まざるを退転という。個人、部隊、班において現状維持は退転、日々月々に進歩して会長先生の前に、その伸びゆく姿を示さなければ青年部の恥ではないか。信心し、まじめに修行するものが真の功徳をうけ、成仏する。ただついていきさえすればよいという要領主義者もいるようだが、現在の幹部は、みんなまじめに修行してきました。小平教学部長も、苦しい修行をした暁に現在のしあわせな境地にはいっておられます。辻先生も、分隊員と同じ苦しい修行を何年も続けてきたのであります。みんな悪戦苦闘を続けてきた結果が、現在の姿なのであります。
 それを見るとき、われわれ青年部は、グチはやめて、むこう十年間は腹を決めて、御本尊様のお使いをしようという決意で、やっていきたいと思います。三万六千の部員を擁しながら、教学部員が六、七百という現状だが、こういう姿では、青年部は対外的に軽んじられていくと思います。分隊長以上が全員教学部員にならなければ、真の本門にはいった姿とはいえないと思うのです。どうか、なにごとにも全力を尽くして、青年らしくがんばっていっていただきたい。(当時、参謀室長)

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