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日蓮大聖人・池田大作

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仕事即信心 男子部幹部会

1956.9.11 「会長講演集」第3巻

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1  きたる二十三日は、青年部の伝統ともなりました第三回目の体育大会になりまして、部長、部隊長も、隊長も分隊員も、同じような人間として、自分の力を、意気を発揮する時でございますが、われわれの信心も体育大会のあの闘魂の姿、それと同じように最後まで戦い、最後まで信心しきり、最後までがんばりぬいたときに最後の勝利があり、最大の幸福の栄冠があると私は思います。
 二十三日には、全青年部員が、本有無作の姿で、自由奔放に生命力を発揮して、会長先生の前に、われわれの演技を御紹介申し上げようではありませんか。
 会長先生から本年初頭『社会にあって信念の人材たれ』とのおことばがありました。日蓮大聖人様は、われわれの仕事自体が信心であるとおっしゃったおことばも、御書にあります。『みやづか仕官いを法華経とをぼしめせ』というのは、われわれの仕事、われわれの事業それ自体が信心でありますよというおことばでございます。
 われわれが南無妙法蓮華経を唱えたときの命を、その事業に対して発揮していく、勉学していくというところに、その世界の、社会の信念の人であり、まことの信心の姿であると思うのです。工員しかり、社員しかり、教員しかり。すべて、われわれ大御本尊様を拝む命それ自体を、社会に、自分の与えられた境遇に、全力を尽くして働ききっていくということが、会長先生おおせの『社会の信念の人材たれ』大聖人様おおせの『仕事即信心でありますよ』とのおことばに通ずるものであると思うのです。
 われわれが現実に反省しましたときに、はたして大聖人様おおせのごとく、会長先生おおせのとおりであるか、いなやと、いうことを考えたときに、ある青年部の幹部は、学会の行事であるからといっては、月に五回も六回も会社を休んでいると聞いている。また事業主が学会員であるがゆえに、四時か五時になると退社していない。昼間も自分のつごうのいいときには青年部の連絡があったといって、あくまでも自分の仕事、社会に対して忠実でない現象が、青年部のなかにあらわれてきている。
 会長先生も、このことは、非常に御心配なされておりますけれども、きょうからは、注意しても聞かないような幹部は、会社を無断で休んで行事に出たり、学会のためであるとか、青年部のためであるとかいって、自分の境遇、自分の仕事というものを、ないがしろにして学会活動を利用していくようなやからは、私は断固首を切れと命じておきます。そのような人があるがゆえに、対外的な人はなおさら学会を疑うのです。信心とは大御本尊様を拝し、また仕事の暇をさいて折伏に教学に励むことでございますが、あとは九界の姿、信心の現証、功徳の現証、現実の闘争は、白日のもと、社会の仕事に、全面的に注がれていかなければ、真の広宣流布の啓蒙運動はできないということを知っていただきたい。
 『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』願わくは、純真に信心して、社会にあっても、恥ずかしくないような人材に、その世界にあって、なくてはならない人材になって、大御本尊様の功力を無言のうちに謗法の人に啓蒙していこうどはありませんか。
 会長先生の弟子として、むすことして、先生の御期待にそえるように、いま、われわれは青年期であり修行期である。苦難の道を歩んでてくべき時代であるとということを重々自覚して、信心一本に行学を励むことを根拠として、一にも懸命に働く、第二も働く、第三にも働くという、働ききって、自分自身の功徳、幸福の現証を、その自分の働いている仕事、境遇のなかに見出していくという信心に立っていただきたいことを希望して、指導にかえます。(当時、参謀室長)

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