Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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指導者 男子部班長会

1956.8.14 「会長講演集」第3巻

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1  『信心と申すは別にはこれなく候』とあるが、かんたんにいえば、朝晩の勤行をきちっとすること、そして自分の悩みを赤ん坊の気持ちで御本尊様に訴えることで、自己が安心立命して、生命力豊かに生活できればよいのです。
 指導を受けるにも、指導を聞くべき土台が必要である。それは朝晩の題目である。この題目が唱えられぬとき、調子が出ないときは、千遍もやれば調子がよくなる。これは、いちばんかんたんで、いちばんむずかしい、このうえにたって、行学に励めばよいのだ。組織には指導者と追従者と二つある。追従者を動かす方法に、また二つある。
  (1)組織を通じ、追従者を動かし目的を達成する方法。
  (2)親分子分の行き方。
 組織専門でいく方法は権力主義に変わり、自分に力がなくても部隊長等の権限を使っていくゆえ、圧迫を感ずるゆえに、学会を滅ぼす。また親分子分の関係は、人専門の行き方で絶対主義の弊害を招く。学会は組織のうえに立って自己の力を生かしていくようにしなければならない。自分の包容力を生かし、人間味、慈悲をもって、他にみられない和合僧の姿でやらねばならない。
 次に形式主義打破であるが、拍手で迎えられないと、きげんが悪い幹部がある、また自己に力がないと部下をしかる、しかることが指導と錯覚を起こす。これが権力主義である。位に功徳があるのではない。御本尊様に対する真心で功徳が決定される。会長先生が学会再建のとき、一兵卒として、どこまでも膝をまじえて座談会をやられ、虚心担懐に指導されていた。指導者は部下をかわいがって、一兵卒の気持ちで日蓮大聖人様の使いとして、仏道修行をしているという謙虚な気持ちで進もうではないか。かくして第二の学会の発展があると信ずる。
 具体的にいえば、地区単位で部隊が応援に派遣される。また各諸会合が少なくなるゆえ、ひとりひとりに末端に的をあたえ、まごつかせぬよう気をくばってもらいたい。また数学に力を入れてもらいたい。そして、あくまで班員の面倒をみてもらいたい。『一将功なって万骨枯る』とは、自分さえ偉くなれば、あとが続かぬということであるが、自分の力では部下はついてこない。班員をみてあげる真心があって班員が続くのです。できるだけ部隊参謀・隊長は自分の信心した当時にかえって、末端からよく聞いてあげるという立場にたって面倒をみていってほしいと思う。(当時、参謀室長)

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