Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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勇気と大望と闘争 聖教新聞紙上

1953.1.1 「会長講演集」第3巻

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1  信心とは折伏にあり、折伏とは日蓮大聖人様の仏法を教義どおりに実践することにつきる。
 実践とは闘争である。闘争には勇気を必要とする。歓喜も、前進、飛躍も、皆、闘争あるところよりのみ湧く。闘争には必ず目的があり、自覚の大望を要す。本尊流布への戦い、邪宗との戦い、三障四魔との戦い等々。所詮、自身の宿命の打開への戦いであり、なんじ自身の永劫の幸福のためへの闘争に帰する。
 われらは大聖人の弟子であることを少しも忘れた戦いをしてはならなぬ。大聖人の使徒として、勇気を持して、東洋広宣流布の大目的のために闘争するのである。それには個人個人がそれぞれの境遇にいて、りっぱな指導者にならねばならぬ自覚をもつことである。また、やがては日本国の東洋の指導者になるという大望を寸時も忘れてはならぬ。一日一日の闘争は大望への一歩であり、大望への一日一日の戦いなのである。歴史を顧みるに、偉大なる事業を遂行した人物は、皆、勇気があった。大望があった。闘争を続け抜いた。
 明治維新の吉田松陰しかり、桂小五郎しかり、大久保しかり、また百年戦争の愛国者ジャンヌ・ダークしかり。永遠の都のロッシにもイタリアを救う大望があった。勇気があった。しかるに、彼らは仏法の原理を知らなかったのである。
 われわれは歴史上にかつてない偉業を遂行せんとしているのである。立宗七百年の聖の暁鐘はすでに鳴ったのだ。末法万年の不幸な民衆を救う本尊流布への第一歩である。
 勇気をもって、三障四魔に打ち勝たん、東洋の広宣流布への大望に立たん。霊鷲山までも歓喜ある戦いを続けよう。(当時、男子第四部隊幹部長)

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