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札幌二支部結成大会 信心即生活

1961.0.0 「会長講演集」第2巻

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1  本日は、たへいんにおめでとうございました。
 私は会長として、毎日悠々と指揮をとらせていただいておりますが、そのかげには、原島理事長をはじめ、理事の先生方が鉄のような団結をもって、私を守ってくれているのです。未完成で若輩な私です。力も弱いし、また欠点もたくさんあることも知っております。人間ですもの。
 同じように、このたび副総支部長になった宮崎夫妻、それから、本日、支部長になった三人の支部長、三人の婦人部長にたいしても、別に自分から支部長や婦人部長になりたくてなったわけでもありませんし、月給をもらえるわけでもありません。北海道の皆さん方の幸福を考えて、りっぱに戦ってくれることだけは私も信じておりますゆえに、不足な点、欠点等がありましたならば、皆さん方が今度は補ってさしあげて、りっぱに使命が達成できるように、応援をしてあげていただきたいと、私は思います。
 先日、関西のほうに行った時に、同志と車に乗りました。会長ですから七十円の車に乗って、偉ぶって乗っておったところ、運転手がわれわれの話を聞いておって『あなた方は学会の人ですか』と言いますから『そうです』と答えたところ『いや、じつは自分も、ついこのあいだ入信したばかりです。妻が一生懸命で、やっとめざめて入信したところですよ』と。ところが、その言いかたには非常にケンがあるのです。奥さんにあまり言われたので、しかたなしに入信したようなようすでした。
 そこで、同志が『聖教新聞は読んでいますか』と聞くと『ああ読んでますよ。ずいぶんうまいことがたくさん書いてありますね』というわけなのです。私も笑って『そうか』と。
 今、私は皆さん方に申し上げたいのです。とくに末法の衆生は、根性曲がりで疑い深く、何も知らないくせに生意気なのです。また、ずいぶんウソをつかれ、だまされてきました。また宗教団体といえば、うまいことばかり書いていますから、同じように、記事にうまいことを羅列していると思うことは、とうぜん常識でしょう。
 ただし、わが創価学会だけは、なにもPRする必要もありません。いくら会員がふえたって、お金が一銭もはいるのではないのですから、あまいことを言う必要もありません。頭を下げて、はいってくださいと言う必要もないのです。聖教新聞と、事実あった行動、学会の会合とも現実につきあわせて考えてみれば、ウソであるか真実であるか、よくわかるでしょう。
 まあ、きょうこのように会合があった。そうすると、それが聖教新聞に載る。ウソであるかないかということは、皆さん方が、いちばんよく知っているのですから、そうでしょう、皆さん。どのようにうまいことを言ったって、真実ほど強いものはありません。わが日蓮正宗創価学会だけは、永久に真実をもって、力強く前進をしていこうではありませんか!
 よく恩師戸田先生は『信心は一人前、仕事は人の三人前働きなさい』と申されておりました。『信心は一人前』これは、とうぜんであると思います。朝晩の勤行をして、不幸な人があったならば、この偉大なる大御本尊様のことを教えてあげることが人間としてとうぜんです。また、そのようにしなさいという御命令は、なにも牧口先生、戸田先生が言われたのではありません。創価学会が言っているのでも絶対にありません。この御本尊様に、朝晩勤行をして宿命転換し、不幸な人がおったならば、末法のただ一つの仏道修行である折伏を行じて、人もしあわせにし、自分もしあわせになりなさいというのが末法の御本仏日蓮大聖人様の御金言ですよ。創価学会はなにもあとは申し上げません。その大聖人様の御金言どおりにやった人は、しあわせになる。いやな人は、大聖人様に文句を言えばいいのです。やめればいいのです。それだけのことなのです。
 今度はその大御本尊様をうけて、御本尊様を拝んでいれば自然に商売がよくなるか、そういうものではない。根本的には福運があります。このような、せちがらい生存競争の世の中において、大御本尊様からいただいた生命力、知恵というものを働かせて、生活のうえに、功徳を、利益を湧現する以外にはないのです。
 戸田先生が『御本尊様を拝んで、そのところにお米を置いておけば、拝み終わった時には、ちゃんと御飯ができ上がるか、そんなバカなことはない。棚からボタモチ式の考えかたは、大きい誤りである』と申されておりますごとく、私どもは大聖人様もおおせの『天晴れぬれば地明かなり法華を識る者は世法を得可きか』これは深い意味もありますが、戸田先生は『法華を識る者とは、御本尊様をたもった者である。世法を得可きかとは御本尊様をたもったがゆえに、どのように商売をうまくやっていこうか、どうすればもうかるか、どうすれば価値創造して明るい生活ができるか、どのようにすれば損がなくなるかということがわかるのだ』と、このようにおおせになっているのです。
 したがって、戸田先生は『信心、信心といって自分の生活をないがしろにして学会行事だけにはしっているものは大謗法である』と、きびしくしかっていらっしゃいます。信心は即生活なのです。生活のうえに功徳をだすための信心なのです。信心のための信心というものはないのです。
 また、むずかしいことばでいえば『是の法は法位に住して世間の相常住なり』(法華経方便品第二)大御本尊様をたもっていれば、自分の九界の生活、自分の商売、自分の境遇において、大御本尊様に照らされて、大功徳をあらわしていくのだというおおせなのです。
 すなわち、普通は、いくら努力しても、宿命転換ができないもので、ずいぶん努力をしても、成功しない人は、たくさんおります。しかし、私ども学会人は、大御本尊様を知ったわれわれは、信心第一に、あとは人の二倍、三倍くふうをし、努力をし、商売に励んで、現実の生活のうえに、さんさんと大功徳をうけていこうではありませんか。これがまた、りっぱな折伏なのです。
 どうか、札幌の同志の皆さん方の全員が『信心即生活』という、この事実の指導を間違えないで、また指導する場合に、それを根本とし、仕事が忙しい方にたいしては、大きい理解をもって、全員が仲良く、楽しく、この人生を生ききっていただきたいことを念願申し上げ、私の話といたします。きょうは御苦労さまでした。

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