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日蓮大聖人・池田大作

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第2回女子部北海道総会 確信ある人生

1961.6.25 「会長講演集」第2巻

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1  本日は、たいへんおめでとうございました。
 申すまでもなく、私ども日蓮正宗創価学会員の信心の目的は何かといえば、絶対の幸福生活をしきっていくということです。成仏するということに尽きます。それ以外のことば、ぜんぶ枝葉です。
 ある人生は宿命に流されて生きている人もあります。ある人生は、雄々しく、なんとか宿命と戦って幸福を獲得したいと努力している人生もあります。しかし、自分自身の宿命を転換しきって、打開しきって、真の幸福を獲得しきっていける方法と、人生とを生きている者は、日蓮正宗創価学会員以外には、絶対にないと、私は信ずるのです。
 ずいぶん大勢の政治家、指導者がおります、りっぱなことを言っております。はたして、そのような政治家や指導者が、身近で、私どもにたいして『あなた方をしあわせにしてあげる。幸福にしてあげる。もし幸福にならなかったならば首をあげましょう。全財産をあげましょう』と、心の底から責任をもち、確信をもち、哲学をもち、そして信念をもって言いきれる指導者、政治家がいるかと私は言いたい。私は日本国じゅうを捜しても、絶対にいないと断言するのです。
 私は青年ですから、ずいぶんいろいろな本も読み、また、いろいろりっぱそうなことも聞きましたが、おとなはウソつきであるなという結論なのです。しかし、なかには、まじめな指導者、まじめな為政者もあります。そういう人は、ずいぶん悩み、苦しんでいるなということも私は感じております。
 いずれにせよ、末法今時において、日蓮大聖人様の教え以外には成仏の直道も、幸福の方法もありえない。『委細に三世を知るを聖人と云う』この『聖人』とは、末法の御本仏日蓮大聖人様のおんことです。過去も現在も未来も、ぜんぶ知っていらっしゃる。私ども凡人は、一寸先はヤミです。自分自身をどうしょうもない。一寸先もわからない指導者やなにかに指導を受けて、しあわせになれるわけもありませんし、自分自身すら救っておらない人生が、どうして人が救えるか。当然の道理です。
 釈迦は『自分が死んで百年たったならば、阿育大王が生まれて、必ず仏法をひろめるであろう』と予言しております。仏さまですから、ちゃんと先は見えております。天台大師は、自分が死んで二百年過ぎれば、隣国、日本の国に生まれて、また仏法をひろめるであろう。伝教大師の出現の予言です。というふうに、きちっと大確信をもって、そのように言いきっております。
 いわんや日蓮大聖人様は、三世を通観しておられる仏さまです。そのへんの魔物のような教組や管長と違うのです。その時代に、たったひとり出現するのが仏さまです。仏さまはひとりしかでないのです。
 その日蓮大聖人様が『この本尊を拝めば、だれびとも仏になる。願いとしてぜんぶかなわざるはなし。罪はぜんぶ消える。必ず福運が開けて大功徳を受ける』と、大確信をもって遺された御本尊様です。またこの大聖人様の仏法が、必ず東洋へひろまっていくぞと断言していらっしゃいます。
 今、大聖人様がそのように申されたその仏法を、確信を確信として、それを信じきって私どもは勇敢に信心を成し遂げていこうではありませんか。
 それが大聖人様の信者であり、創価学会員の精神なのです。批判をする前に、愚痴をこぼう前に、この一年間、私は皆さん方がどれほど人間革命ができるか宿命転換ができるかという実験証明のためでもいいから、信心を強く、貫き通していただきたいことを訴えるのです。
 そうして、北海道の地は、非常に地の利に恵まれておりませんから、部隊長を中心にして、しっかりチームワークをとり、手紙や電話で連絡をしあい、おたがいに激励をしあって、そうして、来年お目にかかる時には、皆、顔色がよくなって、ことしよりも、何倍、何十倍も功徳を受け、体験を積んだという確信ある姿でお目にかかりたいと思います。御健闘を祈ります。

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