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日蓮大聖人・池田大作

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第2回女子部関西総会 若い時の信心

1961.6.18 「会長講演集」第2巻

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1  たいへんにりっぱな総会、まことにおめでとうございました。
 ただいま、いろいろと先生方からお話がありましたごとく、若き女性が三万人、一堂に会したという事実は、関西はじまっていらいの会合であると信じます。いわんや、その会合が、お金で集まったものでもなく、最高の日蓮大聖人様の大仏法を根本とし、わが身もしあわせになり、社会も平和にしたいと、純粋なる心をもって集まったこの三万の会合は、日本の国はじまっていらいの歴史敵会合であると、私は思う。
 このように、今、関西に、おおいなる黎明の鐘が鳴っているのに、偉大なる潮の姿があるにもかかわらず、府知事も市長も、またこの地からでた代議士連中も、ひとりも気づかない。気づいておっても、やきもちをやいていて来ないのか、世の、また関西の指導者として、私は非常に悲しいことであると思います。
 しかし、新しい時代は、そのような過去の権力や財力や、みにくい泥仕合をしきってきた、そういう指導者にまかせないで、私ども若い青年が育って、新しい国土をつくっていこうではありませんか!
 今の時代は悪世末法と申し乱世、乱れきった世の中であります。権力、陰謀、策略、刹那主義、虚無主義、利己主義、もっともだれを信じ、どのようにしあわせを築こうかと、全大衆が、心ある民衆が悩んでいる時代です。『世の行く末は、どうなっていくのであろうか』と、まじめな人は憂えております。大半の大衆は『人間として正しい生き方をしたい』『まじめにこの一生を送りたい』『平和に暮らしたい』と心から念願をしております。
 どの団体、どの政党、どの教団も、乱れきって、紊乱しきっていることのなかにあって、わが日蓮創価学会だけは、真実に民衆の味方となって、ただ一つ、もっともまじめな団体として、もっとも誠実な教団として、広宣流布をめざして進んでいこうではありませんか!
 かつて戸田先生が、三人の女性に御本尊様をたもたせ、十年、十五年たってから三人の姿を話されたことがあります。ひとりは大東亜戦争中も御本尊様を疑わず、まっしぐらに信心をし、また学会再建当時も純真に信心をまっとうし、二億になんなんとする資産を持つようになった。
 また、もうひとりの人も、同じく一億の資産を持つようになった。そして、あとに残されたひとりの人は、戦争が始まって、学会が弾圧をされて、臆病になって、逃げて、また学会再建当時も、あらゆねジャーナリスト、世間の風評に流されて退転状態になった。戸田先生の前にこられた時には、こじき同然の姿で見えて、戸田先生が『ああ、あんなにしあわせそうであった奥さんが、なんとまあ哀れな姿になってしまったものか』と述懐をされておられたことをおぼえております。
 皆さん方が、信心しているときに、まわりの人やなにかが、バカにするようなこともあるでしょう。りっぱそうに、けいべつするような言語をはいていく人もおります。私は言いたい。ではそのように人々を批判する本人が『何人をしあわせにし、何人も救えるか』と言いたい。そういう人にかぎって、自分自身も救えない。むしろ人々を不幸にしていくような、使いに化してしまっているのです。そういうまわりの人々の縁に粉動されないで、末法の大聖哲、日蓮大聖人様の言々句々を、私どもは勇敢に実践して、幸福をつかんでいこうではありませんか。
 今、虚栄をもち、刹那主義で若い時代を生きている同じ青年、女性がたくさんおります。だが、十年先、十五年先の人生はどうなるか。人生はマラソンのようなものであります。今、若くして仏道修行にまじめに励んでいる皆さん方と、どれほど大きい、幸福のへだたりができ上がるか、それを強く確信して、堂々たる女子部の時代に、修行しきっていただきたいと私は思います。
 朝、御飯をしっかり食べていかない人は、一日じゅう、なんとなく、おなかがすいて働けないものであります。空腹であれば、力強い生活ができません。と同じように、若い時にお題目をたくさん食べ、題目をたくさん唱え、勉強をしっかりして、あと三十代、四十代、五十代になった時には『ああ、若い時に信心し、勉強してよかったなあ』と言えるのが因果の理法であると、私は思うのであります。
 願わくは、大御本尊様に照らされて、世界の全女性のなかで世界最高の幸福者になることを確信し、また幸福になられんことを心からお祈り申しあげまして、私の話といたします。

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