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関西第四総支部結成大会 総本山に美術館

1961.6.17 「会長講演集」第2巻

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1  たいへん元気なお姿を拝見いたしまして、私も非常に喜んでおります。本日はおめでとうございました。
 申すまでもなく、私ども日蓮正宗創価学会員の信心の目的は何かといえば、ただ一つ、成仏することにあります。絶対の幸福生活を確立しきることであります。いっさいの組織、いっさいの修行、いっさいの活動が、ぜんぶが自分自身の幸福のために、第一にも幸福、第二にも幸福、第三にも幸福境涯、幸福生活を確立するための、汝自身の前進を、私はしていただきたいと思うのであります。
 このたび総支部長になりました中尾理事は、また総支部婦人部長になられた広谷さんは、非常に昔は話がヘタでした。いつも会合のときに、そばで聞いておって、うまく終わればいいなと祈る気持ちでこざいました。きょう久しぶりで中尾先生の話を聞きまして、ずいぶん信心も、人格も、そして指導力も進まれたなどと思いました。内閣総理大臣やケネディ大統領などは問題ではないと私は喜んでおります。広谷さんも同じです。
 今、私は、なぜそういうことを申し上げたいかといいますと、大勢の幹部のなかには話がヘタな人はたくさんおります。それでは話だヘタでは幹部とはいえないか、りっぱな指導者とはいえないかといえば、けっしてそういうことはありません。学会は信心第一です。
 したがって皆さん方は、これから幹部に、大幹部に成長していくと思いますし、ろ話がヘタな人ほど一生懸命に信心して、努力をしているかもしれませんし、そういうような意味で、きょうはおふたりとも非常に安心しましたが、その他でまたいろいろな欠点があるかもしれませんが、ありましたならば、おたがいに人間ですから、皆さん方のほうで大きく包容し、大きい協力と、御支援をしてやっていただきたいと、私は切望するのです。これだけお願いすれば、きょう私がここへきた目的は達成するのです。そのこきとだけが、非常に心配だったのです。
 次に申し上げておきたいことは、じつは派、先日の親鸞の大遠忌に、本願寺で儀式があった。その時に、なんだかあばれこんだ人がいる。創価学会が暴力をふるってあばれこんできたというふうに大騒ぎしたそうであります。つかまえてみたらば、わが子だった。自分たちの同僚の坊主で、上層部の僧侶のやりかたが気に入らないで血判状を持ってきたわけなのでありますが、なんでも、なにかがあると『創価学会が暴力をふるってきた』という。
 また、先日新聞にも載りましたが、全日仏の総会が鶴見の総持寺であった。政治家やなにかを招待して、千人あまり坊主が集まっていろいろな決議をしたそうであります。その会合のどこか裏のほうに、青年の坊主が三、四十人、ゲートルを巻いて、洋服で、こん棒を持って警戒をしておったという話を聞きました。創価学会がきっとまたはいってくるのではないかと思って、おびえておったのではないかと私は推測するのです。ちょうど、かつて、富士川の水鳥の音を聞いて平家が逃げていった姿に相通ずるような気がするのです。
 創価学会は、ずいぶん世間では暴力宗教であるとか、暴力をふるったと言われました。ただのいっぺんもそのようなことはありません。反対に慈悲の行為をもって、人々を救おうと思って、その最中に暴力をこうむったのは創価学会です。
 そのように既成宗教は、既成仏法は、幽霊のごとく、なんの活力もなくなっております。そんな宗教団体、既成仏法に、わが創価学会が本気になって戦うわけがありません。眼中においておりません。
 何千、何万という宗教団体がいっしょになって、全日仏という一つのものになっておりますが、ほんとうに彼らが、日本の国を思い、仏の金言を実行しようと思うならば、たばになってあの卑怯な墓地問題やなにかで、国法上、仏法上からも、まじめな、そして弱い人をいじめているような、そういう行動をしないで、わが創価学会に堂々と正式に法論をもって戦ってくるならば、私は正しいと思うのであります。
 そんな勇気のある、確信のある既成教団は、もう一つもないのでありますから、皆さん方は勇敢に、大聖人様のおおせどおりに、人間革命をめざして前進しきっていただきたいと思うのであります。
 私どもは、正法年間における釈尊のことばどおり、像法年間における天台、伝教大師の仏さまの言うとおりの行動である。
 今、根本は、末法の御本仏、日蓮大聖人様のおおせどおりの行動を、そのまま実践している。全仏教界のなかで、ただ一つの正しい仏の金言を実行している団体なのであるます。
 あとは、あとの仏教々団というものは、ぜんぶ釈迦に師敵対し、伝教大師、天台大師に師敵対し、日蓮大聖人様に師敵対してぜんぶ邪宗邪義であり、地獄に落ちることは、とうぜんな教団なのであります。ですから、私どもは強い強い信念をもって、大聖人様の仏法をもって破折をしきっていこうではありませんか。
 古くさい幽霊が住むような建物がたくさんありますけれども、ことしじゅうに、今、日蓮正宗の寺院も一か寺しかありませんが、もっとモダンな、りっぱな寺院を造る計画でありますから、待っておいていただきたいと思います。
 もう一つ申し上げたいことは、皆さん方のなかに、こんなに創価学会が強い確信をもって戦っている、と。今、京都の地には重要文化財とか国宝級の仏像とか、たくさんある。そういうものはいったいどうするのだろう。心配をしている人もあると思うのです。
 それは、日興上人様のお書き物を拝しますと、きちっと広宣流布の時と、いっさいの教えがある。垂迹堂という、一つのお堂が日蓮正宗のなかにできるのです。そのことについて、日達上人猊下は『垂迹堂という堂にすると、いろいろ誤解を生ずることがあるので、美術館という名称で本山に大きい美術館を造る予定だ』と。そこに広宣流布の場合には、美術品として、いっさいの、そういう国家的、国宝的、また文化のうえで重要なるものは、そこにぜんぶ収めるようになっているのです。なにもいっさいがっさい、道理もなにもなく、なんでもかでも焼いてしまえ、こわしてしまえなどというような狂気ざたみたいな行きかたなどは、まったく考えておりませんし、きちっと、その仏さまが先の先まで見通して、こういう時代にはこういうふうにしていきなさいというようになっておりますから、安心していただきたいと思うのです。
 したがって、十年、二十年の先のことはそんなに心配しないでいただいて、皆様方は、きょう、またあすの家庭革命に、信心第一で戦っていただきたいと、私は思うのでございます。あと、先のほうのことは私どもにまかせておいてください。
 最後に権力をもって主導権をにぎったものは、権力をもって滅ぼされていったのが歴史の流れであります。金をもって、財力をもって人を集め、人々をつっていった人は、財力がなくなれば、結局、財力で滅んでいます。また、人気で有名人になっているような人々は、人気が衰微して滅んで、ふしあわせになっている。
 坊主どもが人々を邪宗教でうまくごまかして、金をもうけようと思っても、最後は現在のように滅んでいく。自分も地獄へ落ちる。人々も地獄へ落としていく。因果の法則です。
 ただ一つ、仏さまのおおせどおりに、大御本尊様を根本として、信心第一で人生をいききったものだけが私は永遠に滅びないし、栄えていく人生であると確信するのです。皆さん方のいよいよの御健康と御健闘とをお祈り申し上げまして、私の話といたましす。御苦労さまでした。

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