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日蓮大聖人・池田大作

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男子部幹部会 青年部の幹部は教学部員に

1961.6.6 「会長講演集」第2巻

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1  この一か月間、たいへんに御苦労さまでこざいました。
 毎月、男子部の幹部会には、私をはじめ大幹部の方々が列席いたすことになりました。毎月、毎月皆さん方を激励もしたいし、また、皆さん方から、私をはじめ理事室にも、たくさん激励していただきたいと、私は思うのです。
 それで、この幹部の始まる時間が、六時であるか六時三十分であるか、はっきりしておりません。非常に遠くからくるお友だちも、たくさんありますから、青年部の幹部会は六時三十分ちょうどから開始すると、このように決めたいと思うのです。いいでしょう。
 非常に忙しい皆さん方でありますから、少しでも遅く、みんなが集まってから始めたいと思います。
 また、この幹部会は一か月の闘争の報告をしあい、次の一か月への、大きい、希望に満ちた戦いへの出発となる、その意義は意義として、あくまでも、むずかしいことは別として、この幹部会は楽しい、そしてなんともいえない親しみのある幹部会として、私はつづけていっていただきたいと思うのでございます。
 かつて、恩師戸田先生は、国土訓に『国に十万の国土がいるならば、日本の国を救いうることは、火をみるよりも明らかである』と、確信なされております。現在、二十七万の男子青年部がいる今日、私は恩師の叫ばれた『十万の国土があるならば日本の国は救える!』という、その確信を、絶対に虚妄にしたくはないのであります!
 また、とうぜん、二十七万人の青年部があるならば、日本の国が救われていくことは、必然であることも知っております。ただ、今、私は皆さん方ひとりひとりの成長を待つ以外にはないと思うのです。青年部の諸君が、あらゆる面で、信心根本に成長することに比例して、日本の国は救われると、このように私は叫びたいのであります。
 この一年成長の尺度として、私が要望したいことは『男子青年部の幹部は、全員が教学部員でなくてはならない』ということでございます。また、教学部員になっていただきたいと思うのです。
 かつて、釈尊在世においては、その仏の内証は別問題として、十九出家、三十成道の釈迦は、九十五派のバラモンを向こうにまわして、勇ましく戦闘しました。そして舎利弗尊者、目連、その配下の弟子は、門下生は、ぜんぶが十代、二十代の青年です。
 また、もったいなくも、末法の御本仏日蓮大聖人様が、御年三十二歳で、立宗宣言あそばされて、法体の広宣流布の指揮をおとりあそばされた時も、そこにつどうた四条金吾、南条時光、曾谷入道、富木常忍など、すべての門下生は、ぜんぶ十代、二十代の青年でありました。
 また大聖人様より、御相伝をお受けあそばされた日興上人様が跡をお継ぎあそばされた御年も、弱冠三十七歳であります。あらゆる世間の流れ、歴史の流れ、そして仏法上においても、いっさいの民族を救済し、大法を弘通し、最高の文化国家を建設している原動力というものは十代、二十代、三十代の青年の手によってなされているという事実を、私どもは、しっかりと自覚して、進んでいきたいと思うのであります。
 したがって、それ以外の方程式では、広宣流布も、最高の文化の世界の建設も絶対にできえない。したがって、青年部のなかから、ぞくぞくと次の大幹部、世の指導者が出ていただきたいことだけが、ただ一つの私の念願であるということを、かさねがさね、心の底から私は訴えるものでございます!
 どうか、広宣流布の目的に向かって、毎月お目にかかるたびごとに、より以上強い確信をもち、そして深い教学を身につけて、元気な姿で、私はお目にかかっていきたいと思うのでございます。
 最後に、男子として生まれて、私どもは、自分自身も幸福になり、そして、人々をも根本的に幸福にさせていける大仏法を護持し、大法のもとに、大法にささげている青春であります。いろいろと、安逸をむさぼり、惰弱に、利己主義に生きている青年も、たくさんおります。しかし、もっとも深い、そして尊い哲学のうえに実践している私どもは、だれびとがなんと言おうが、私ども青年部こそが『男子のなかの男子なり』という誇りをもって進んでいっていただきたいと思うのであります。
 人として生まれて、男として生まれて、なにもしないで、ただ平々凡々として死ぬのであるならば、私は動物と等しいと思います。
 広宣流布という最高の目的に生き、根本的に人々を救済できるという、全人類のなかで、全青年のなかで、われわれこそが、もっともしあわせな青春であると謳歌して進んでいこうではありませんか!
 最後に、広宣流布達成の目標の一つとして、立正佼正会、ならびに天理教にたいしては、間断なく、また忍耐強い破折攻撃をしきっていき『立正佼正会ならびに天理教が全滅をした時に広宣流布になる』という合いことばで、進んでいっていただきたいと思います。

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