Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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奈良にて 包容力豊かに

1961.5.10 「会長講演集」第2巻

前後
1  最初に申し上げたいことは『創価学会は形式主義ではない』ということです。あくまでも、大御本尊様に照らされて、全学会人が、兄弟のごとく、仲のいい団体で、広宣流布の日までいくのであります。
 けっして『役職』に功徳があるのではないのです。その人の『信心』に功徳があるのです。したがって、私は皆さん方にお会いしたときには『やあ、会長』『やあ、支部長』『やあ、地区部長さん』『やあ、組長さん』と、おたがいに、庶民的に言っていけるような、同志愛に満ち満ちた、わが学会でいきたいと思うのであります。
 真実に、偉い人はだれか。それは大御本尊様を絶対と信じ、不幸の人々にこの大御本尊様を拝ませてあげるのです。それが根本であり、あとはぜんぶ枝葉であります。
 伝教大師は『末法の世の中に偉い人はいるわけはない。りっぱな人があるわけはない』と予言しております。『もし、末法の世の中に聖人があるならば、りっぱな人があるならば、それは町の中にトラがあるようなものである』(四信五品抄三四一ページ)と説かれてあります。私どもが目を転じてみると、やれ法王だ、やれ管長だ、やれりっぱな宗教家だというふうに、りっぱそうなことを言い、りっぱなことを説く、そういう連中がたくさんおりますけれども、私は、すべて末法の御本仏・日蓮大聖人様の大仏法に照らしてみるならば、ぜんぶ邪宗邪義であり、偽善者であると叫ぶものであります。
 今、私どもは、あまりにも宗教には無知でありましたゆえに、どんな宗教も皆同じである、何を信心しておってもいいではないかと、さも道理らしく、常識らしく考えておりましたが、釈迦の仏法に照らし、天台、伝教の教えに照らし、日蓮大聖人様の仏説に照らしてみるならは、絶対にそうではないのです。
 末法今時においては、太陽が宇宙に一つであるごとく、真実の仏法は、真に人々を幸福にする、成仏せしめる仏法は、日蓮正宗の三大秘法の仏法以外には、絶対にないのであります。創価学会員以外に真実に仏法を研究し、まじめに実践している団体はないのでありますから、皆さん方は、だれびとに向かっても、縁にも粉動されてないで、悠々と、しかも堂々たる、強い信仰に立って、知らない人々に教えてあげていただきたいと思うのであります。
 支部長にまだまだ足りない点がありというのなら、また皆さん方に憤まんがあるようなことがあるならば、われわれは人間です。欠点もたくさんあります。クセもあります。いわんや支部長にもとうぜんあると思います。そういうようなことがあったならば、支部長を責めるのではなくして、皆さん方が補ってあげて、りっぱな支部長夫妻の使命を達成させてあげていただきたいと私は思うのです。これはお願い申し上げます。
 私も、自分でできない、わからないことがたくさんあります。そのときには、原島先生をはじめ、理事の先生方、大幹部の先生方にいつも相談し、補っていただき、そうして広宣流布の大道に、毅然と進んでいるのです。
 真実の民主主義は、大御本尊様に照らされて、わが創価学会以外にはないと、私は叫びます。そして、支部長も、もう年ですし、あまり長く支部長をやらせておくのもかわいそうであるような姿にもみえますから、あとは皆さん方が支部長、婦人部長以上の人材に育っていただいて、皆さん方が支部長、婦人部長に、学会の大幹部になって、この方面の不幸な人々をみんな救って、楽土である奈良にしていただきたいと思うのでございます。
 私だって、早く次のりっぱな会長ができれば、早くゆずって、より以上の広宣流布の指揮をとってもらいたいという気持ちです。私ども大幹部は、自分たちの位置や位などに、しがみついているような人々はひとりもおりませんから、安心してついてきていただきたいと、私は思うのです。
 最期に申し上げておきたいことは、折伏をする場合でも、また後輩の人を指導する場合でも私どもは忍耐強く、そして話をする場合には、えみをたたえて、悠々たる気持ちで、その人を包容しきっていくという大きい心で、その人を救い、その人を指導していかねばならないと思うのです。対等的になってすぐにけんかをしたり、いばったり、そういう態度は、戒めていかねばならないと思います。
 あくまでも信心を強く、大確信に燃えて、忍耐強く、えみをたたえて、包容力をもって、また、あすから、自分自身の人間革命へと、不幸な人々を、尊い命を救っていっていただきたいと思います。
 今後の御健闘を祈ります。

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