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松江支部結成大会 勇敢に信心を貫け

1961.4.23 「会長講演集」第2巻

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1  松江の同志の皆さん、松江支部結成大会、まことにおめでとうございました。
 私は松江支部の結成大会にくる途中、非常に胸が痛かったのです。なぜかといえば、ほとんど私は、支部結成をなすべきところには、いままで会長になるまえも、多少にかかわらず、指導にも行っておりましたし、縁も結んでおりました。また私が行っていないとしても、理事長原島先生をはじめとして、本部の大幹部の方々が、だれかしらは、そこに皆行って指導しておりましたが、松江だけは、私も、本部の理事室も、だれも、いままできていないのです。
 ずいぶん苦労もしたてあろうなど、想像もしてまいりましたし、かわいそうなことをしたなと、こういう気持ちであっぱいでございました。
 今後は、私が多忙でこられないとしても、創価学会の本部の一級闘士が、皆さん方の指導に、かつは激励に、たびたびきていただくようにいたしますから、しっかりがんばっていただきたい。
 『仏法は勝負てある』(四条金吾女房御返事一一六五㌻)と日蓮大聖人様はおおせであります。私どもが幸福になっていくためには、勇気が必要なのであります。大聖人様は、また『日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず』臆病であっては仏になれない、宿命転換して、絶対の幸福境涯、幸福の生活を樹立することができないよとおおせであります。
 なにも、日蓮正宗を、創価学会を大きくするために、勇気をもって戦えというのではなくして、自分自身の幸福のために、宿命転換のために、大聖人様のおおせどおりに、勇気をもって仏道修行に励んでいただきたいと私は思う。
 なぜか。それは、むずかしい仏法のことばでいえば、私どものこの生命を解剖した場合に、十界、三千という哲学で説かれておりますが、その大もとは、今、理事長からも話がありましたように『一念』の作用から始まるのです。その一念の作用を分けて、元品の無明と元品の法性に、大聖人様はお説きあそばされており、『元品』ということは『一念』というなのです。その元品の無明の生命活動の場合には、第六天の魔王と働いて、どんなに努力しても、どんなにかせいでも、どんなに自分自身を反省しようが、幸福にはなれない。自分の力ではどうしようもない。
 その反対に、元品の法性の生命が発生した場合には、梵天・帝釈としてあらわれ、自分自身もほがらかになり、力強い生命活動が湧現し、いっさいの努力、いっさいの自分自身の活動が、ぜんぶ宇宙のリズムにのっとっていくのです。
 世界に、また、たくさんの指導階級がおりますが、りっぱなことはたくさん話します。また話してもきましたが、それでは自分自身を知っているかと反問した場合に、絶対に自分自身をどうしようもないのが、その偉い人たちの姿です。なぜかならば、あすの命もわかりません。自分自身がわからずして、根本的に人々を救いきることは、断じてできないと、私は思うのです。したがって、今、私どもは、大御本尊様に南無することによって、簡単に元品の法性、すなわち仏の命を湧現していくことができるのです。そして、過去遠々劫の罪業を、瞬時に、どんどんどんどん消すことができるのです。
 したがって、わが生命を南無妙法蓮華経という仏の生命活動で支配することができるのです。この生命のなかで、畜生の生命が強い人は、畜生が王様になって、この生命を支配するから、どんな生活もぜんぶ畜生のような生活に変わって、不幸をもたらすのです。
 この生命のなかに、修羅界、おこりっぽい生命が王様になって、でんとすわった場合には、いっさいの生命が修羅界のうえに立った生活活動をする以外にないのです。
 たとえていえば、今度は国土世間に、そのことを論じてみるならば、日本の国に東条英機が総理大臣になったとすれば、日本一国が自然のうちに、東条首相の一念に左右されて、あの暗黒の軍国主義時代に、だんだん進んでしまう。またマッカーサーがきた。マッカーサーがこの日本国の王になってしまえば、その一念の作用によって、だんだんだんだん日本の国は民主主義に変わっていく。フルシチョフが首相になれば、ソ連圏内は、フルシチョフの思うがままの民族性に変わっていく。ケネディが大統領になれば、政治政策は全部左右されていく。と同じく、自分自身のなかにおいて考えた場合も同じなのです。今、御本尊様を私どもが信奉したわが生命は、南無妙法蓮華経という日蓮大聖人様の御命は、仏界がわが生命の王様となって、いっさいの生命活動、いっさいの生活活動がしていかれるがゆえに、私は、絶対の幸福生活ができると断言するのであります。
 この仏界の生命を湧現するためには、やはり勇気ある仏道修行が必要になってくるのです。とうしても、自分自身で自分を幸福にする以外にない。人々が自分を幸福にしてくれない。自分の肉団の中にある御本尊を仏界を、湧出する以外にはない。
 だれびとがなんといおうとも、大聖人様のおおせどおりに、題目をあげて、あげきって、また自分自身の宿命転換のために、自分の力に応じて折伏する人が仏の生命をつくることができると、私は思うのであります。その自分自身を宿命転換するために、成仏するために、絶対の幸福をつかむために、どんなことがあっても退転しないで、十年、二十年、いな一生涯のあいだ、私どもとともにかんばりきっていこうではありませんか。
 私どもは、今、私は会長として、また理事長はじめ、理事室、大幹部も、過去を振り返ってみれば、みんなふしあわせでありました。初めから仏法がわかり、初めから幸福の立場で、安逸に仏道修行をしてきたのでは断じてありません。私も貧乏のドン底であり、からだも弱く、いったい、どういうふうにしていったならば、これからの人生を生きていくことができるであろうかと悩み苦しんでおった青年です。また原島先生も、理事の方も大幹部も、もとをただせば、ぜんぶそうです。たが十年、二十年の信心によって、今では言語に絶する物心とものしあわせを大幹部はみんな受けております。その大幹部に、まさるとも劣らない大功徳を、皆さん方は、受けきっていただきたいのであります。
 第一に、大御本尊様、第二にも御本尊様、第三にも御本尊様を根本として、形式的なお線香を、何本あげなければならないとか、やれお水の中にシキミを入れなければいけないとか、入れなくてもいいとか、そういうような化儀、形式にとらわれないで、あくまでも御本尊様第一にしっかり信心しきって、お会いするたびに、若々しく、そしてほがらかに、こんなに功徳を受けましたという諸法実相の姿を示していただきたいことを、心からお祈り申し上げまして、私の話といたします。
 くれぐれも、皆さん方の御健康と御健闘とをお祈り申し上げ、私は青年でありますから、皆さん方にたいして邪宗教が指一本さすことができない、皆さん方をいじめるような悪い輩がいた場合には、断固粉砕して、皆さん方を守っていく会長として進んで行きますから、よろしくお願いいたします。

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