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日蓮大聖人・池田大作

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聖教新聞創刊十周年に寄せる  

1961.4.20 「会長講演集」第2巻

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1  就任一周年にあたって、聖教新聞の創刊十周年を迎えることは、私にとって感慨深いものがあり、同時に、次の十年間の戦いを心に期し、今後の発展を祈るものである。
 聖教新聞は、広宣流布という未曾有の大事業の歴史を綴るものであり、刻々と展開する舞台を正確に報道し、幹部の指導、一般会員の指導、そのほか、あらゆる面において、学会活動の原動力として活躍している。
 『文は武よりも強し』かの明治維新において、長い鎖国の夢からさめて、文明開化の希望に燃えて立ち上がった若き世代の力は、武力に代わるべき言論の力であった。権力や武力と対抗して、これを排除して、にわかに台頭したカこそ言論であった。そして、新聞が、衆望をになって登場したのである。
 いまや創価学会は、全世界にその存在を示すようになった。われわれは、なんの権力ももたない。また財力ももたない。ただ一つ、純粋な心から、仏の金言を奉じ、民衆の不幸を嘆き、楽土建設のために、不幸の根源と戦い抜いてきた教団である。これほど純粋な、力強い団体がほかにあろうか。不幸の根源、すなわち憎むべき邪宗教と戦って、ひとりの人を救う行為、折伏こそ真実の言論のカである。広宣流布の大業は、真実の言論航戦いによって進められていくのだ。
 しかも、その正しい言論にたいし世間は何をもって報いたか、あらゆる罵詈讒謗、批判、曲解、暴言をもって報いたのである。その嵐のなかを、われわれは柔和忍辱の鎧を着て戦ってきたのである。このなかにあって、聖教新聞は、ある時は邪宗邪義に真っ向から鉄槌を下し、ある時は日蓮正宗の正義を堂々と主張し、内にあっては会員を擁護し、外にあっては外敵を粉砕する、言論戦のもっとも大事な武器としての力を縦横に駆使したのであった。
 昭和二十五年の夏、恩師戸田城聖先生が、第二回目の法難をうけ、経済戦の危機に立たれていた時のことだ。恩師はつくづくと新聞の重要性を感ぜられて、どうしても新聞をつくろうと決心されたのであった。その年の暮れ、京橋のすし屋で、仕事の帰路、恩師と私とふたりきりで、新聞作製の構想を練った。その時、恩師はこう言われた。
 『おれが社長になる。おまえは副社長でやれ』と。この時を期して聖教新聞は創まったのである。
 以来十年、日夜をわかたす、新聞作製に、広告、啓発、配達と、懸命の努力を尽くしてくださった諸兄に、衷心敬意を表する。
 かつて恩師が『願わくは、聖教新聞を、日本国じゅうの人に読ませたいものである』と託されたおことばを、今こそ強く思い起こしたい。そして直接新聞にたずさわる者のみでなく、全会員が、この恩師のお心を体して、聖教新聞を守り育てゆかれんことを希うものである。

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