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愛知・熱田支部結成大会 全日仏の野望を粉砕

1961.4.15 「会長講演集」第2巻

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1  たいへんに、しばらくでございました。また本日は、おめでとうございます。
 ただいま、原島先生をはじめ、理事の先生方から、いろいろな角度から指導がありましたゆえに、私はもう話をすることがなくなりました。いままでの指導をどうかひとつ、自分自身の幸福のために、まじめに実践していただきたいと、私は切望するりものでございます。
 『全日仏』というものが、今、日本の国にあるのです。また『新宗連』というものもあるのです。どういうことか。全日仏ということは『全日本仏教会』という意味です。新宗連というのは『新宗教連盟』という団体です。この団体を新興宗教の組合みたいに称しているのです。その新宗連のことは論外として、全日仏のことについてお話をしておきます。
 宗教が既成宗教がたくさん集まって、一つの団体をつくるということは、釈尊の金言に照らしても、日蓮大聖人様の御金言に照らしても、邪道であると、私は思います。
 あらゆる既成宗教がいっしょになって、時の政治に迎合し、自分自身たちを守るために、自分たちが生活をむさぼっていくために、本来ならば宗教家は、人のため法のために、自分自身を投げすてて、人を救っていくのがとうぜんであるにもかかわらず、保守的になり、人のことはまったく考えないで、生活だけを考えて、そのような結託をし、どんな教義であってもかまわない、どんな理論であってもかまわない、どんな宗教と宗教が妥協しようともかまわない、そんな宗教は、絶対に私は邪教であり、時代に逆行する魔物であると思います。
 その全日仏が、声明をしていることがりあるのです。皆さん方も、ごぞんじであるとも思います。また、さきほど小平先生からお話がありましたごとく、墓地問題について、ただ墓番にすぎない坊主どもが、あまりにも日蓮正宗の発展がすばらしいので、創価学会の折伏が大きく全日本に広がっているために防ぎようがない。これではめしの食いあげになってしまうということで、一生懸命に墓番である坊主どもが、日蓮正宗に転向したならば、宗教が変わっていったならば、その墓地に埋めさせないという意味なのです。
 その墓地は、皆さん方が、われわれが、ちゃんと買った墓地です。管理料もちゃんと払っている。自分の所有地です。宗教のうえからみても、信心のうえからみても、宗教家の使命からみても、また歴然と、国法のうえからみても、常識からみても、そんな陰険きわまる、人非人にも劣る行動は、絶対に私たちは許すことはできないと思うのです。
 そういうようなことが各所に起こっております。もしも皆さんが、そういう事態に当面したときには、支部長なり、または本部の文化部員、渉外局等に御連絡をください。あらゆる方法で今戦っておりますから、国法のうえでも仏法のうえでも、道理のうえでも、絶対、創価学会の行動は間違いありませんし、過去も現在も未来も、だれびとたりとも正しいという行動を私どもはしておりますから、堂々と戦っていただきたいと思うのです。
 したがって、そういうことがあったとしても、今、私どもは、国法にかけて、仏法のうえにあっても、また創価学会にたいして、あなた方の行動が、墓地問題にたいする皆さん方の行動はとうぜん正しいし、あなた方を絶対支持するという知識階級、指導階層もたくさん現われておりますから、安心して広宣流布の途上に横たわっている道門増上慢、最後のあがきである、天魔のあがきであるその三障四魔を、勇敢に皆さんとともに乗りきっていきたいと思うのであります。
 最後に、ただいま、理事長からこまごまとお話がありましたとおり、日蓮大聖人様のおことばに『いかなる乞食には・なるとも法華経にきずをつけ給うべからず』というおことばがございます。皆さん方が一生懸命に信心をしていけば、功徳があることは当然であります。
 信心しなければ、御本尊様をいただいても功徳はありません。どういう立場にあっても、どういう境遇にあっても、こんなに自分は功徳を受けました、これほど人間革命をしてしあわせになったと言いきっていけないような人は、法華経に傷をつけていく人になるのです。『三年も五年も十年も信心をしておって、いったい、あの人はなんだ』と言われるような人であったならばあいなりません。だれびとからも『うらやましい』『楽しそうだな』『たしかに日蓮正宗の信心は、創価学会は幸福そうだ、幸福である』と言われるように、また言いきれるようなひとりひとりになっていただきたいと念願いたします。

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