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日蓮大聖人・池田大作

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長岡支部結成大会 信心は実行である

1961.4.4 「会長講演集」第2巻

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1  会長、会長と言われ、また、先生、先生と期待をかけられて会ってみると、なんだ、あんな貧相な男か、がっかりなさった方が多いのではないかと思うのです。
 だが、私は、大御本尊様のお力をお借り申し上げ、総本山、そして大聖人様の弟子であり、家来である創価学会員の皆さん方を、鬼神にも、天魔にも、絶対に負けないという決心で守っていく意思でございますから、よろしくお願いします。
 どんな宗教でも、邪宗でも、ぜんぶうまいことを言って人々をごまかしております。うまいことを言わなければ信心しない。金がもうからない。とうぜんのことであります。きょう高崎からこたらへくる途中も前のお客さんが、一生懸命に谷口雅春の『生命の実相』という本を読んでおりました。キリスト教のことや、神道のことや、仏法のことや、いいことを皆、盗んで一冊の本にして......、宗教という仮面をかぶった小説屋です。
 そのように、宗教に無知である人々は、ずいぶん、だまされてきております。しかし、末法今時においては、日蓮大聖人様の御建立あそばされた三大秘法の南無妙法蓮華経以外は、絶対に幸福になれないし、南無妙法蓮華経のみが、永遠の衆生を、永遠にお救いくださるただ一つの大宗教なのであります。
 この日蓮正宗にたいし、創価学会にたいして、ある人は怨嫉をして、またある人はねたんで、創価学会は、暴力をもって大勢の人を入信させているのである、組織が強いから入信する人が多いのであると批判をしてきました。暴力で入信するような、そんな人はいるわけがありません。組織だけ強ければ入信するのであるならば、どの教団でも組織をうんとつくればいいではありませんか。そうではなくて、あくまでも大御本尊様に大功徳があるから、大勢の人が入信をするのであります。
 今、私どもは、宿縁深厚にして、大御本尊様を、大勢の人に先がけて受持することができました。しかし、大功徳を受けて、幸福生活をしている人もたくさんおりますが、なかにはまだまだ信心弱くして、批判的にあって、大功徳に欲していない人もおります。そういう人のことを聞くと、非常に胸が痛みます。
 私は、信心は実行であると思うのです。あくまでも、日蓮大聖人様のおおせどおりに信心しているのは創価学会です。したがって、批判をする第三者の人から『おまえたちは幹部におどらされて動かされているのだ』ある人は『そんな紙っ切れを拝んでなんの功徳があるか、そんなのやめてしまえ』というふうに、縁に粉動されて、勇猛精進の修行をしないがゆえに、大御本尊様を受けても、その功徳に浴することが少ない。
 私どもは申し上げたい。『われわれの言うことも聞きなさい』とは、ひとことも言っておりません。目を開いて、末法の大聖哲、日蓮大聖人様の御金言を、御書を読んでみれば、ひもといてみれば、創価学会の指導が、私どもが申し上げていることが、大聖人様の使いとして、大聖人様のおおせに一分の違いがないということがわかると、私は思うのであります。
 したがって、功徳がほしい、しあわせになりたい、幸福になりたいと思う人は、だれびとも、人は幸福にしてくれません。汝自身でする幸福になるのは、その自分自身はどうすればいいか。御本尊様にしがみついて、御本尊様に純真に祈り、願い、題目をあげる以外に、絶対にないのです。したがって、批判をするまえに、疑うまえに、なにやかや愚痴をこぼすまえに、自分自身が悩んでいること、自分自身がこうなりたいと思うことを、一心不乱に大御本尊様に題目をあげながら、信心修行をしようではありませんか。それで、実験証明として、結果はどう出たか。しあわせになれなかった、思うように結果がでないということについては、また、私どもにどんどん批判もし、進言もしてください。
 以上申し上げまして、私の話といたします。御健闘をお祈りします。

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