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日蓮大聖人・池田大作

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高崎支部結成大会 学会の真実を知れ

1961.4.3 「会長講演集」第2巻

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1  長いあいだ、たいへんに御苦労さまでございます。今、原島先生ををはじめ、多くの理事の先生方から話がありましたが、理事の先生方が、なにを話しておられるかといえば、ただ一つ、日蓮大聖人様以外に、末法において、永遠の人生において、大勢人々が即座にしあわせになる道はないという、大御本尊様を拝むことしかありませんよということを教えてくださっているのであります。
 御御本尊様以外にはしあわせになる道はない、成仏できない、これを教えているのが日蓮正宗創価学会であります。あとはなにものもないのです。御本尊様を拝めばしあわせになる。あんな紙切れのようなものを拝んで、なぜ功徳がでるのであろうか。なぜ、利益があるのであろうか、反対すると罰が出るのであろうか。不思議といえば、これ以上の不思議はありません。
 ある人たちは迷信と言うであろうし、あまりにも奇蹟のように聞こえるがゆえに、神がかりと言う人もあるかもしれません。しかし、そういう人々は、なんら大御本尊様を知らない人でふるし、大御本尊様に、こういう大哲学があるがゆえに、裏づけがあるがゆえに、このように因果の理法によって功徳がでるのだということも知らない人々の批判にすぎないのであります。
 もったいなくも大御本尊様を純粋に、純真に拝んでみれば、必ず結果は出ます。大御本尊様に、千遍、二千遍と題目を唱え、強い強い信心をいたしまして、願いきって、功徳が出ないわけは断じてないと、私は叫ぶのです。
 なぜ出るかということにたいしては、大聖人様のおしたためである観心本尊抄という御書を拝すれば、歴然と裏つげがあります。また、当体義抄という御書を拝すれば、またその証拠が、その哲学がはっきりとおしたためであります。そのほかたくさんの御抄がありますが、ぜんぶ、大御本尊様になぜ功徳があるか、なぜ、絶対に成仏の直道であるかという裏づけの哲学なのでございます。
 今、私どもに原子論、微分、積分の数学、化学などの本を見せられても、なにもわかりません。わからいからウソか、そういうわけにもいきません。と同じように、大御本尊様は一幅のお曼陀羅ですが、もっともかんたんに、もっとも、すみやかに、私どもがしあわれせになれる原理であります。知らない人々がどのように誹謗しようが、どのように批判しようが、大聖人様のおおせを、そのまま一分も違えず、正当学派として学んでいる、実践をしている学会の指導どおりに信心していくならば、しあわせはあると確信して、勇敢に進んでいただきたいとも私は思います。
 先日も、理事の先生方とお話ししあって、大笑いをしたのでありますが、信心をしている新しい人のなかでは、日蓮正宗の内容、創価学会の内容については、知らない人がたくさんいるわけです。初めて登山して、丑寅の勤行に参加することがでた。これは、代々の御法主猊下が広宣流布の御祈念をなされて、当宗においては、もっとも厳粛な猊下の勤行です。この人が、丑寅の勤行ということから、うし(丑)と虎(寅)が、勤行の終わり時分に出てくるのではないか、いつまで待っても牛も虎も出てこない、どういうわけでしょうかと、先輩に聞いたという話があります。
 また、登山会に行く。女の人でありますけれども、登山会だから、登山服を着て、リュックサックを背負っていかなければいけないかしらというふうに聞いた人もあるそうです。
 また、ある人は四月の六日に本宗において二大行事の一つであるお虫払いで、大聖人様の御本尊様、御真筆、御書、そのほか宝物を年にいっぺんだけお虫払いの儀式としてお見せするのでありますけれども、そのお虫払いについて、日蓮正宗でも、虫封じをするのですか、おかしいですねというふうに言っておった人があるそうです。
 このように、いろいろと分からないことがたくさんあると思います。学会人でもそうですから、信心してない大勢の人は、どれほど日蓮正宗を、また創価学会を曲解し、誤報し、あらゆるジャーナリスト等による過去の誤報を信じて、間違った報道を信じて、それを先入観念として見ているかということはとうぜんであると思います。いわんや、そういう人々が、外観もわからないでいる人々が、大御本尊様の力を、日蓮大聖人様の大生命哲学を知るわけがないのです。
 したがって、少しでも大聖人様の大仏法を知りえたという私どもは、幸福者のなかの幸福者であり、福運をもったもののなかの大福運をもったものと自覚して、名誉と思い、知らない人々に、大御本尊様のことを、また日蓮正宗の仏法を、不幸の人々に教えきっていただきたいと、私は切望するのでございます。以上申し上げて、私の話といたします。

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