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日蓮大聖人・池田大作

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帰国歓談会 大仏法は富士にあり

1961.2.28 「会長講演集」第2巻

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1  ひとことごあいさつさせていただきます。このたび御法主上人猛下様の東南アジア旅行にさいしまして、ありがたくも外護の大任をおおせつかりまして行ってまいりました。出発にさいしましては、宗門の先生方、ならびに創価学会の大幹部の方々に、いろいろとお世話になりましたことを、この席を借りまして、あつくお礼申し上げます。ありがとうございました。
 私は、私の主観として、このたびの旅行、このまえのアメリカ、それから、できれば西洋のほうへも、いろいろの用事で行くことになっております。せんじつめれば、日蓮正宗の総本山のみに真実の仏法は遺され、富士大石寺のみが世界最高の聖地であるということを実感したしだいでございます。
 また、東南アジアを回りまして、釈迦はあくまで迹仏である。日蓮大聖人様は御本仏であらせられるのだなあということを痛感いたしました。
 一つの例をとれば『霊鷺山会』と釈迦は、そこに一つの山をさしているけれども、大聖人様は『霊鷲山会とは大御本尊様のましますところである。われわれ自身が妙法に照らされて霊鷲山会になる。霊とは仏界、鷲とは九界、仏界即九界の住所それ自体が霊鷲山会である』(御講聞書82㌻)なんと深い、なんとわが身に照らして深遠なる大仏法を大聖人様はお説きくださったか、非常に私は、大聖人様が御本仏であらせられることにたいして、心の底から痛感しました。
 また『金剛宝座』についても、そこで釈迦が悟りを開き、菩提樹下で悟りを開いたというものの、大聖人様は御本尊様に題目を唱えるこの身が常寂光土である。わが身即本覚の如来なりという大聖人様のおおせでございます。
 釈迦の仏法は、経文に照らして、今はまったく、ございません。末法万年、尽未来際の一切衆生を救うには、ただ一つ、日蓮大聖人様の、御本仏日蓮大聖人様の本因妙の仏法の救いを待つ以外には、絶対に救えないということを痛感したわけでございます。
 今、三大秘法の仏法を、大聖人様のお姿そのままをもって、東南アジアへ御旅行あそばれた日達上人猊下様のおんふるまいに、どれほどか釈尊も喜び、貧しきインドの民、東南アジアの民衆が喜んでいくことであるかということを考えたときに、私ども信者は、よりいっそう猊下様に、御本山に忠誠をお誓い申し上げることを、ここに決意し、あいさつのことばとさせていただきます。
 ありがとうございました。

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