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日蓮大聖人・池田大作

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八戸支部結成大会 仏意を奉ずる唯一の団体

1961.2.20 「会長講演集」第2巻

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1  仏教といえば、また仏法といえば、普通は、一応は釈尊にもどります。その釈尊の教えは、むずかしくいえば華厳経とか、阿含経、方等、般若、法華、すなわち、八万法蔵の仏法を説いたけれども、法華経が第一であるということは、仏法を少しでも学んだものは、だれびとも知っていることであります。
 その法華経は二千年の効力しかなくて、あとは末法出現の日蓮大聖人様御出現の予言書であることも、これも日蓮宗学においては、常識の問題です。したがって、末法においては、日蓮大聖人様の南無妙法蓮華経の仏法によって、一切衆生が救われることはとうぜんであります。
 では、大聖人様はどのようにおおせになったか。末法において成仏する道は、絶対の幸福生活を会得する直道は、弘安二年十月十二日の大御本尊様を拝む以外にない。これが日蓮大聖人の出生の本懐であると、おんみずから御本尊様をお遺しくださったのであります。この大御本尊様を、仏さまの言うとおりに信じ奉っていくのが日蓮正宗であり、創価学会員であります。
 他の宗教は、釈迦に師敵対し、また、末法今時において、南無妙法蓮華経を唱えている立正佼成会、身延、霊友会、たくさんの大聖人様の法を盗んで唱えている輩はおりますけれども、大聖人様のおおせどおりの大御本尊様は拝まないし、知らないし、彼らはただ法盗人であり、人々をだまして、金をもうけ、営業をし、企業をしているにすぎない悪魔であると私は断じておきます。
 また、大聖人様の御書を拝するならば『大御本尊様を拝み、人々を救いなさい。自分自身が仏になるために、末法の修行は折伏しかない』と、はっきりとおおせであります。『摂受・折伏時によるべし』また『法華折伏・破権門理』と、大聖人様が成仏の直道の修行として、その方法として示されたのが折伏です。創価学会が勝手に命名したことばではございません。
 今、日蓮宗と名乗り、南無妙法蓮華経を盗んで宗教にしているたくさんの宗教がありますが、勇敢に、あらゆる迫害を覚悟のうえで、大聖人様の御金言どおりに、折伏ということばを使い、折伏という事実の慈悲の行動をしているところが、集団が、どこにあるかと私は訴えたい。
 ただ、日蓮正宗創価学会以外には、大聖人様ののおおせどおりに修行している団体はないのであります。
 また、もう一つ話をひろげてみるならば、さきほどからお話がありましたごとく、大聖人様の予言は、御命令は、日本の広宣流布は当然であり、東洋の広宣流布をせよ、必ず東洋の民衆が御本尊様を拝んでしあわせになるのだとの御予言どおりに、東洋広布に立ち上がっている集団も、日蓮正宗創価学会以外には断じてないのであります。
 このように、日本の国も、世界も、乱れきっているその時にあたって、教団、集団というものは、もっとも力を出して働かねばならない役目があるにもかかわらず、ある教団、集団は臆病であって、なんにも強く『法』をひろめていなけない。ある教団は、ある一定まで信者がふえれば、食うに困らないから、あとはつぶされないように、うまく経営していこうというような教団や集団ばかりであります。
 全世界にあって、個人の幸福のためにも、一家のしあわせのためにも、全世界の平和のためにも、大御本尊様を根本として進んでいかねばならないのが日蓮正宗創価学会ただ一つなのであります。
 どうか、皆さん方も、大聖人様の弟子として、永遠の幸福をつかみきるという強い強い確信と信心に立ち上がって、いっしょにかんばってくださいよ。大聖人様は御書の中で『法王の言むなしからず』『天子の一言むなしからず』(松野殿御消息1378㌻)と、おおせになっております。そのことは、どういうことか。大聖人様のおおせ、大御本尊様のお力というものは絶対であり、ウソはないのだよというおことばなのでございます。
 私どもは、いろいろな政治家や、思想家や、聖者、聖人の本を読み、聞き、または信用してまいりましたけれども、根本的な幸福というものは得られません。過去においても、現在においても、ただ一つ、日蓮大聖人様のおおせは、仏様のおおせだけは絶対に間違いがないという、強い確信と信心をもって、幸福をつかみきっていこうではありませんか。以上。御健闘をお祈りいたします。

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