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日蓮大聖人・池田大作

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江戸川支部結成大会 一念随喜

1961.1.26 「会長講演集」第2巻

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1  本日の会合を、もしか恩師戸田城聖先生がおられたならば、どんなにか喜んでくださるだろうと、私は想像いたしました。ほんとうに明るいお姿を見て、私も心の底からうれしいのです。おめでとうございます。
 ただいま原島先生からお話があったことと同じこととを、じつは、きょうは言おうと思っておったのです。
 それは、日蓮大聖人様の御書に『命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり』というおことばがあるのです。いのちといっても、せんじつめれば一念になる。その一念随喜、喜んで大御本尊様にお仕えし、信・行に励んだところに大功徳が湧くという意味なのです。
 したがって、私どもは、幸福になりたいと、あらゆる努力をしますけれども、思うようにいかないのが人生です。しかし、ここに大御本尊様という、ひとつの大前提をたもって、この御本尊杣に題目をあげて、喜んで題目をあげ、お仕えして人生を生ききったときに、生活をしきったときに、そこに現実に大功徳の生活ができるという意味なのでございます。
 かんたんといえば、もっともかんたんな方法です。御本尊様に唱題するときにおいても、過去遠々劫の罪が消えるのである、未来永遠の大功徳がつめるのである。また講義に行くときにおいても、指導をしに行くときにおいても、折伏をしに行くときにおいても、いっさいが自分の功徳となる、自分の財産となる、人々を救っていくのだ、自分のためにやっているのだという喜び勇んだ仏道修行をして、大功徳をうけきっていこうではありませんか。
 大聖人様の仏法をとおして、人生の目的は何かと申し上げれば、この地球上に、この世をば楽しみにきたのだ、楽しみきっていくために生まれたのだとお説きでこざいます。
 もし、今、一生懸命に信心して、なかなか思うようにいかない人もあるかもしれません。信心が強盛でないゆえに、または、まだ宿命と戦いきれないゆえに、さまざまな姿があると思いますけれども、一生成仏が信心の目的ですから、永遠の幸福をつかめるのですから、いわんや、いろいろな願いが、かなわないわけはございません。
 しかし、途中において、ひじょうに、どうも生活が思うようにいかないというような道中があったとしても、大御本尊様の功徳を信じきって、もしか、お金がない場合には、やきもちで言ってはいけませんけれども、ぜんぶ、今は銀行のほうへ貯金をしてあるのだと。また、ほかの人はいい洋服を着ている、自分はどうもみすぼらしい洋服でちょっとまずいなあというような境遇の道程にある人も、いい洋服は、かわいそうだから人々に着せてあげているのだ。また、ほかの人は、ひじょうに、いいお家にはいっている。うちは四畳半か六畳一間しかない。いま家作として、みな貸してあげているのだというぐらいな境涯で生きていこうではありませんか。
 どう思っていくのも人生です。楽しみにひたりきっていける一念、それだけ思いきれる生命力、また絶対の確信を幸福を得られる信心、そういうたくましい人生行路を、どうかひとつ、私とともに、人々のために、日本民族のために、全衆生のために、御本尊様を中心に、進んでいっていただきたいと思います。御健闘をお祈りいたします。

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