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日蓮大聖人・池田大作

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都南支部結成大会 科学・政治を生かす宗教

1961.1.25 「会長講演集」第2巻

前後
1  きょう、田中総支部長と、ある病院にお見舞いに行ってきたのです。かつて、文教支部で非常に活躍をした同志でありますし、功労のある支部の幹部でありますゆえに、ちょっと本部で時間をちょうだいして、護秘符をお持ちして差し上げたのです。そうとう重体だと聞いておりましたのですけれども、わりあいに元気でありました。ちょうどその病院の一室に六人の患者が休んでおって、片側が三人、その反対のほうに三つのベッド。ちょうどその支部の幹部が寝ている側の三人は同じ病気であったそうです。悪性の肝臓から出ている病気というのですが、皮膚病なのです。経文のうえでは『身体臭穢にして悪瘡膿血』(法華経勧発品第二十八)という、法華誹謗のむくいで、信心以外には根本的になおらないというほどの、なおりにくい病気です。
 それで、話を聞いてみますと、いちばん向こうに寝ている方は、その病院のお医者さんのおとうさんだそうです。五年間同じ病気で休んでいるそうです。その次に休んでいる人が船長さんだそうです。二年間その病気で動けないそうです。で、いちばんこっちに動けないで寝ているのが、まあ、うちの幹部というわけなのですが。まだ、病院へはいって二、三か月のようすですが、御本尊様をそこに置いて、なんといっても、いちばんお元気な姿で、私は、信心があくまで根本ではありますけれども、おひとりは五年間、ひとりは二年間、ひとりは二、三か月であるが、必ず、いちばん早く、すみやかに健康になることだけは間違いないと思うのですよ。
 その病院の医師のおとうさんですから、もう少し早くなおしてもいいのではないかと思うのですけれども、そうはいかないのです
 日蓮大聖人様は『この御本尊様を拝めば願いとして皆かなう』とおおせです。『罪として、その罪が皆消える。福運が必ずあらわれる』とおおせなのです。末法の御本仏、日蓮大聖人様がおおせなのですから、私どもは大聖人様のおおせどおりに、今、受持している御本尊様に、一心不乱に願いをかけて、この一生涯を人間革命に、一生成仏に励みきっていこうではありませんか。
 どうも今の知識階級、指導者と言われる人々は、一見、尊敬できますけれども、いったん宗教の問題になると『宗教はなんでもいいではないか、イワシの頭も信心から』と、いっております。今、私どもは『宗教のことは日蓮正宗創価学会以外に、その大哲理と、仏法の方程式とを実践している団体も個人もありえない』これだけは皆さん方は大確信をもって進んでいただきたいと思います。
 それであるのに、ちょっと、りっぱそうな人や、ちょっと学校をでた連中から『いや、宗教はこうだぞ。おれはこう思うぞ』なでと言われると、そっちの人の言うことのほうに、縁に粉動されて『それでは日蓮正宗はだめなのかな。御本尊様はだめなのかな』と思うことは、大きな誤りです。宗教のことのだけは、だれも真実の宗教は知らないし、それを教えきっていくのが創価学会員であります。
 大御本尊様『日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』末法今時においては大御本尊様を拝む以外に、絶対に幸福になる道はないのです。
 科学は人を幸福にする。政治は人を幸福にする。こういう一面はあります。私は、また私どもは、科学を絶対尊重します。いっさいが科学的でなくてはなりませんし、また、政治も尊敬します。政治の運営によって、どれほど機構が改革され、また住みよい合理的な世の中ができるかもしれません。それにも依存しますけれども、二千年前、三千年前から考えた場合には、今の科学は、何千倍、何億倍発達しております。政治も二千年前、三千年前から比べれば、何千倍、何万倍も成長していなくではならないはずです。即それが人々の幸福に直結するのであるならば、もう、私どもは悩みがなくてもいいはずであります。
 だが、現実の世界は、現実の家庭は、まだまだ憂えて、悲哀と悲嘆に暮れる生活をしている人は枚挙にいとまがありません。絶対に幸福になるべき根底は、最高の宗教によらねばならないと私は絶叫いたします。このうえにたって、科学、政治のいっさいが生きてくるのです。真実の宗教こそは、生命哲学であり、生命の科学です。
 今、私どもは、最高の宗教を知ったのであります。あと大事なことは信心です。りっぱな自動車を購入しても、ガソリンを入れなければ走りません。おいしい白米を買っても、火で焚かなければ食べられません。なんでも売っているデパートへ行っても、お金を出さなければ、なんにも買えません。
 大御本尊様には法力・仏力が厳然としてそなわっております。あとは、私どもの信力と行力です。大御本尊様を信じきる。また学会員のひとりとして、広宣流布に、また、学会活動に、一生成仏に、自分自身の行を積んでいくところに、絶対の幸福生活ができると、私は思うのです。なにとぞ、絶対の大御本尊様をいただき、あとは皆さん方が幸福になりたい、宿命転換をしたいと、お思いになるのでありますならば、信心と、それから行を積んでいこうという、この二つだけを忘れないで、とうぜん、その行・学には学問もはいります。教学もはいりますよ。それだけを忘れないで、ひとつ一日一日を有意義に闘争しきっていただきたいと思います。

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