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日蓮大聖人・池田大作

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城西支部結成大会 座談会こそ法戦場

1961.1.24 「会長講演集」第2巻

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1  よく戸田先生は、人生は長距離マラソンのようなものであると申されておりました。事実、私も、戸田先生のおなくなりになるまでのお姿を拝見し、数多くの同志の人々の姿を見ておりまして、一生涯とはまだ言いきれませんが、マラソンのようなものだと痛感しております。
 すなわち、大御本尊様をたもった日蓮正宗の信者、すなわち創価学会員、信心していない人と、今、その時は、外面的にはいろいろな相違はあると考えられます。
 しかし、必ず、一生涯という長いマラソン競争においては、大御本尊様を護持しきった者が勝つことだけは絶対であると断言いたします。
 御金言にいわく『仏法と申すは勝負をさきとし』とのおことばは、そのことであります。また今度は、信心をしている信者のなかにおいて、まじめに大聖人様のおおせどおり、戸田城聖先生の指導どおりに信心しきった者、その反対に、学会人を、同志を批判し、いいかげんに、また批判だけをいつもして、学会内を乱していくような、そういう似非信者などと比べた場合、これまた歴然と、大御本尊様を同じく拝んでおっても、純真に信心しきったものが最後の大勝利者になることも、また間違いがないと断言いたします。
 日蓮大聖人様の御在世において、大聖人様の弘法のひとつのお姿は、座談会のお姿であったと承っております。よく、小説や、邪宗日蓮宗などにおいては、辻説法をしてきたと言われてきておりますが、そういう記録、御文証はありません。仏さまが非常識な、民衆の機根に合わないような、行動をおとりになるわけはないのです。あくまでも、座談的に、きちっと一対一で折伏しきられておられたお姿に拝します。
 創価学会の今日までの大発展も、その根底は初代会長牧口先生いらい、ぜんぶ座談会を法戦場として今日に至っております。
 現在、毎日毎夜、毎晩、何千何万か所で、大御本尊様の話を中心に、座談会が展開されておりますが、一見すれば、もっとも地味であり、ひじょうに遅々としてすすまないようにみえます。このあいだの新聞によると、あるキリストの教団で、何億という金を使って体育館で三十日間だか二十日間だか、おおぜいの人を集めて説法する、説教するということが新聞に出ておりました。そんな方法で真の信者ができるわけはありませんし、私どもは、広宣流布が成就するまでのあいだ、地道でありますけれども、座談会の法戦場をもっとも大事にして、進んでいきたいと思うのでございます。
 ちょうど、大きい川が、大河が、深く静かに、あらゆるものをそのなかに入れて、悠々と流れていく姿が座談会の姿でありますし、大法弘通の姿が、毎日毎晩、何千、何万か所で活発に活動されているという、そのような真剣であり、まじめであり、ねばり強く活動をしている教団は、全世界に、創価学会以外には断じてないと私は思います。
 その底辺の力が、底流の力が、真実の民主主義の姿であり、真実の民衆の声であり、砂上の楼閣のような今の政界、今の指導階級が、あとになってびっくりする、ピラミッド式の道理にかなった、活動方針ではないかと、私は信ずるのでございます。
 であるならば、皆さん方も、もっとも大事な、この座談会場を根底に、どの小さい座談会でも、班の座談会でも、また指導会においても、むだにしないでいただいて、明るく、真剣に、まじめに、小さい座談会は小さいなりに、大きい座談会は大きいなりに、新しい人がこなかたら、こなかったりに、どの座談会もみんな活発であり、皆さん方が行けばぜんぶ盛り上がっていくというふうにしていただきたいと、私はお願い申し上げるしだいなのでございます。
 また、座談会に連れてきたり、それから指導会に新しい人を連れてきた。指導を受けさせようと思って親切に連れてきた。また講義の時に新しい人をやっと連れてきた。そういう場合がたんさんあります。その時に、連れてきたことも折伏であり、功徳があります。連れてくるということは、たいへんなことであると思います。そのことを忘れないで、その連れてきた人のことも忘れないで、せっかく連れてきても、かんたんにあしらったり、ふまじめに、不親切に、つっぱねたり、そういうことがあると、せっかく連れてきた人がどれほど悲しむか、どれほどがっかりするか、新しくきた人もとうぜんでありますけれども、もう連れていくのはいやだというふうにさせてしまう場合があります。
 魔のたはらきに幹部がなる。しぜんのうちにそういうふうになる恐れがある。そういうことのないように、連れてきた人の心までくんで、ねばり強く納得のいくまで、一生懸命に座談会においても、指導会においても、地区講義においても、全力をあげて幹部の人々は戦っていただきたいと、私は思います。以上申し上げまして、きょうの話とさせていただきます。

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