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両国支部結成大会 民衆をだます邪宗教

1961.1.13 「会長講演集」第2巻

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1  きょうは、かわいらしい支部ができまして、ほんとうにおめでとうございます。さきほども柏原先生から、お話がありましたけれども、私は別の角度からお話をいたします。
 先日も、ある同志の人と話をしたことがありますが、あまりにも邪宗教が民衆をだましている。私も若いし、その同志も若い人ですから、憤激をおぼえているわけです。その時に、その人がいわく『ドイツのことわざに、ひとりの人が長くだましていくことはできる。大衆を一時的ににだますことはできる。しかし、大衆を長いあいだ。だましきることは絶対にできないということばがある』と言っておりました。
 たしかに、天理教も立正佼正会も、いままでのたくさんの邪宗教は、大衆をだましては、またいりましたけれども、太陽が出れば月が消えるごとく、星がだましきっておったということに、大衆がめざめてきた現状であると、私は信ずるのであります。
 邪宗教だけに限らず、かつては、ヒットラーが大衆わ率いてきたが、やはり長くは、個人の理念だけではだましきることはできませんでした。軍国主義であった日本においても、民衆を最後の最後までだはしきることはできませんでした。
 今の政治しかり、世界においては、あまりにもウソつきばかり、だますことのみで終始している現状であります。
 しかし、ひとり三世十方の諸仏も証明し、釈迦も、天台も、妙楽も、伝教も、そして末法の御本仏日蓮大聖人様が、この御本尊様を拝めば、この曼陀羅を拝めば、絶対に幸福になるという、御本尊様を信ずる以外に、幸福も平和も絶対に私はないと信ずるのです。
 その証拠として、仏さまは、政治家でも商売人でもありません。いっさいの民衆を本源的に幸福にしたいという御慈悲の出現であります。その仏さまが証明され、現在、大御本尊様を信奉して、世帯数でいえば百七十万世帯以上の人が、人数でいえば、数百万人の人が、大功徳をうけて、しあわせになっているということは、これまた厳然する証拠であると私は信じます。
 創価学会は、いままでも、ずいぶん批判されてきました。御金言に照らして、これからもまた批判もされていくでありましょう。日蓮大正宗の大仏法を、また、即それを実践している創価学会を批判すればするだけ、人々は不幸になる。日本の国のしあわせ、平和が遅れる。世界人類の幸福と平和が遅れることに通ずるのです。
 日蓮正宗の仏法を、創価学会の実践を賛嘆し、認識しようとすればするだけ、それだれけ、多くの人はしあわせになり、日本民族の興隆があり、全世界の幸福と平和がすみやかにくるというバロメーターに、創価学会がなると、私は信じます。
 なにも、創価学会が大きくなることを欲しません。みんな人々は幸福を願い、平和を願っているのです。その根本原理は、これしかないわけです。御本尊様しか絶対にないのです。今、私どもは、政治をうんぬんし、教育をうんぬんするものではございません。それは、ぜんぶ皆さん方の自由です。
 先日、ある学者が『これほどまでに力のある、統制のとれた、まじめな偉大なる国の底力になっている創価学会を、なぜみんなは認めないのだろう。なぜ、バカにしきっているのだろう。自分はひじょうに不思議に思っている。たが、創価学会の前途というものにたいしては、私は偉大なる期待をかけております』と言っておりました。
 ほめてくれる人は、ほとんどおりません。ほめられようが、けなされようが、それは自由であります。こっちはこっちでやります。しかし、その人いわく『ちょうど世界において、国連が中共を認めない。あれだれけの偉大なる力をもっているのでから、ちっぽけな考えをもたないで、私は認めても、かまわないと思うのです。と同じ方式で『日本の国は創価学会を認めない』というようなことを、その人が、例にとって言っているのです。
 必ず創価学会にたいして、日本の指導者も、また知識階級も、どうしても大聖人様の仏法でなければならない。創価学会の前進が、たしかに日本民族の唯一の幸福への直道の方程式をもち、実践している団体であるということを認める日も、証明する日も、認識する日も近いと、私は確信いたします。
 それまで、またみなさん方とともに、仲良く、大御本尊様に照らされて、一生懸命に仏道修行に励んで、幸福生活を築いていこうではありませんか。
 最後に、きょうお集まりになったひとりひとりの皆さん方が、りっぱな指導者に、幹部に育っていただきたいことを、私は念願するのです。なんといっても、りっぱな人材がいるか、いないかによって、その地区、その班の人々の幸せも不幸も、信心しやすいか、しにくくなるかも、決定されてしまうのです。皆さん方が『私がおれば、私のようなまじめに信心しきり強盛な信心の人がおれば、みんな地区員も、班員もしあわせであろう』と言い切れるおひとりおひとりになられんことを、かさねてお願い申し上げまして、本日の私の話といたします。おめでとうございました。がんばって下さい。

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