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大塚・豊島支部結成大会 四つの謗法

1960.12.19 「会長講演集」第1巻

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1  たいへんにきょうは、おめでとうございました。
 私が戸田先生に指導を受けてまいりまして、一番感じていることは、戸田先生は『形式主義』というものを、もっともきらったお方なのです。あくまでも『実質主義』なのです。したがって、私も同じなのです。いまも、コップについでくれる。なにも、自分のことは手がちゃんとあるのですから、自分がすればいいと私は思うのです。
 きょうは結成式であり、原島先生をはじめ、柏原先生、辻先生、森田さんといっしょに六時少し前にここに着いたのです。そうすると、田中さんをはじめ、大幹部の人々が、なんとなく生気がないのです。ははあ、これは結集が遅れているので、会長に申しわけないなと、おこなれはしまいかなと。こっちのほうがよっぽど心配です、そのことに対して。
 それで、車を降りて聞いてみたら、そのとおりなのです。『まだ半分ぐらいしかきておりません』と。いいではありませんか、会長のための結成式でもなければ、大幹部のための結成式でもありません。多忙のために、遅れてくる人もあるでしょう。また、きたくてこない人もいるでしょう。ただ、ほんとうに、支部が結成されて、喜び勇んで、より以上、功徳を受けようという人が集まれば、それで私はよろしいと思うのです。
 講義においても同じ、座談会においてもしかり。ぜんぶ、法を求める人が功徳をうけ、境涯を開いていく。それが創価学会の会合の精神であります。
 大勢集めなければしかられる、だれもおこりはしません。また、なんでこんなに少ないのだろうという必要もありません。集まった人だけで、求道精神がある人だけで、ほんとうにその会を、わずか五人でも十人でも、私どもはその人に最大に教えていこう、仏法を知っていただこうというふうに、どんな会合でも、大きい会合でも小さい会合でも、もっていきたいと私は思うしだいでございます。
 大御本尊様を信じていけば、功徳のあることは当然であり、成仏することは絶対ではあります。また、大御本尊様に反対し、御本尊様にさからっていけば罰のあることも絶対であります。皆さん方は、何回も聞いていると思いますが、もう一度ここで反省し合いたいと思うのです。
 それは大御本尊様を拝めば、聖人が唱える題目も、凡人が唱える題目も、その功徳は同じである。聖人の持っている黄金も、下人の持っている黄金も等しいのと同じように、功徳は等しいのでありますが『ただし』という御書があるのです、ただし書きが。いちおうは功徳はぜんぶ等しいけれども、ただし、こうこうこういう場合には功徳がない。有名な松野殿御返事(御書1382㌻)の十四謗法のことであります。
 十四謗法のなかでも、最後の四つの謗法がある場合には、功徳が出ないで、反対に罰を受けるのです。地獄へ落ちるのです。
 その四つの謗法とは何か。第一番目には軽善謗法、第二番目に憎善謗法、第三番目に嫉善謗法、第四番目に恨善謗法。
 軽善というのは、御本尊様を拝んでいる人をバカにするということです。憎善謗法とは、信心している人を憎むことです。それから嫉善謗法とは、怨嫉です。あんな人のいうことはきかない。恨善謗法とは、信心している人のことわうらむのです。したがって、かんたんにいえば信心している人のことを、バカにしたり、批判したり、それから、あんな人の言うことはきかないという心をもっているならば、御本尊様に題目をあげても功徳が出ないのです。
 現に、せっかく学会員となり、信心をしている人であっても、功徳が出ないで罰の生活が続いているという人は、その四つの謗法をしている人てあるということがわかる場合が多いのです。宿命転換のために三障四魔と戦っていく人もありますけれども、おうおうにして、その四つの謗法が多いのです。
 信心している人、創価学会を批判している人は、やはりなんとなく目つきも悪いし、顔色もよくないです。信心している人を憎んだり、怨嫉をしているような人は、はりなんとなく、不景気な顔をして、だれが見てもにくらしいような顔つきをして感激、歓喜というものはぜんぜんありません。諸法実相です。実相というものは、ごまかしがつかないのです。
 したがって、大功徳を受けきっていくためには、純真なる信心をしきっている人に対しては四つの謗法、すなわち批判したり、恨んだり、怨嫉をするようなことを絶対にしないで、ひょっと出たならば題目をあげて打ち消していく。こういうふうにしていくならば、千人が千人、一万人が一万人、百万人が百万人、ひとしく大功徳に浴した生活革命ができることだけは断言するわけなのでございます。
 また、今度の新年号にも、私は年頭のことばとして書いておきましたが、大御本尊様に照らされて、皆さん方は、まず支部においては、支部長をにいさんのごとく慕い、信頼し、婦人部長をねえさんのごとく慕い、また信頼して、皆さん方は、ついていっていただきたいと思うのでございます。
 反対に、支部長、婦人部長は、支部員の方々を弟のごとく、妹のごとく心から愛情をもって大事に育て、親切に指導をしきっていかねばならないと思うのです。学会精神ならびに仏法の峻厳性にあっては、あくまでも妥協は必要ありません。その人のためを思ってどこまでも信心指導をしていただきたいと思いますが、その他にあっては、ぜんぶ仲良く、兄弟のように広宣流布のその日まで進んでいきたいと私は思います。両支部の御健闘を心からお祈り申し上げまして私の話といたします。

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