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徳島支部結成大会 本尊の正邪

1960.12.6 「会長講演集」第1巻

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1  徳島の同志の皆さん、たいへんにしばらくでございました。また、本日は支部結成、まことにおめでとうございます。
 学会の幹部は、組織のうえにあぐらをかいて、いばっている幹部ではありませんし、そういう幹部は、初代会長牧口先生いらい、ひとりも許しておりませんし、そういう幹部はおりません。ぜんぶ『いよいよ実なれば位いよいよ下く』幹部になればなるほど、地区部長であれ、支部幹事であれ、支部長であれ、ぜんぶが一般の人と苦楽をともにして、大御本尊様に照らされて、いっしょに幸福になろうと指揮をとり、指導するのが支部の幹部であると私は思う。また、そういう幹部になっていただきたいと私は思います。
 大聖人様は御書のなかに『諸宗は本尊にまどえり』とおおせになっております。ある宗派は大日如来を本尊とし、またある宗派は、鬼子母神を本尊とし、キツネを本尊とし、釈迦の像を本尊とし、観音を本尊とする等々、ぜんぶ末法今時における本尊として間違いであるとのおおせなのです。
 私どもは信仰をもっていない時代、信仰をもっていない人のことを考えてみても、必ず何かを対象として自分自身を形成してきています。自分自身の人生観というものを、人生航路というものを、つくっております。ある人は信仰とはいえないけれども、本尊とはいえないけれども、必ずある対境、自分自身を決めていく、対境というものをもっている。
 したがって、ある人は本によって、自分自身の生き方を決めている人もおります。ある人は先輩とか、学校の先生とかという人を中心にして、自分の人生航路というものを、人生の目的というものを、つくっていこうと努力している人もおります。ある人は、おとうさんの言うとおりに、ある人は子供の言うとおりに、ある人は英雄の言うとおりにというふうに、私どもはなんらかにたよっております。
 もしか、人生の目的は何か、自分自身の人生観というものは何かということを考えないで生きていくというならば、そういう人は夢遊病者のようなものであります。また、舵のない船のようなものであります。一般の人でもそうであります。いわんや、いったん信仰、仏教という場合には、そこに絶対条件として、絶対なる対境、本尊によって、いっさいの幸福は決まってくるのであります。
 むずかしい経文、理論ということは別にして、末法今時においては、日蓮大聖人様は『日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』と申された三大秘法の大御本尊様を拝む以外に、幸福になり、仏になる道は絶対にないのであります。だれびとがなんと言おうが、これしかないのであります。
 したがって、今、邪宗の坊主をはじめ、宗教学者であろうが、だけびとであろうが、宗教のことを真実に研究し、真実に信仰し、体験をもっている人は、世界にだれもおらないのであります。したがって、皆さん方は、だまされてはなりません。
 ずいぶん批判する人も、うまいことを言う人もおりますけれども、だれもほんとうのことは知らないのであります。大聖人様以外は知るわけがないのであります。したがって、どんな悪口、どんな批判をされましても、だれびとも自分自身を幸福にはしてくれません。自分自身が幸福になり、仏になるためには、自分自身の信心により、自分自身の力により、正しい本尊により、絶対に仏様がこれ以外にないと残された大御本尊様を信ずる以外に幸福にはなれないと決めきって、人生を生ききっていただきたいと私は思います。
 大御本尊様を拝するならば、大御本尊様の向かって左上に、御本尊様を拝む者は福十号に過ぐ、もし此の経を供養せん者は福十号に過ぐ、仏さまの持っている十の福運以上の福運を積むことができると厳然とおしたためでございます。その反対に、もし脳乱せん者は頭破作七分、御本尊様を誹謗し、御本尊様を拝んでいる者を批判するならば、頭破作七分、必ず地獄へ落ちると、はっきりお書きあそばされております。
 したがって、皆さん方が、純真に大聖人様のおおせどおりに信心していくならば、三世十方の仏菩薩、諸天善神の加護があります。私どもをいじめるならば、たとえ『もしは実、もしは不実』どういうふうに批判しても、ぜんぶ罰をうけるのです。地獄に落ちるのです。その確信をもって、仏法は証拠でありますから、信心しきっていけば必ず幸福になる、私どもを批判すれば、必ずみじめな姿になって『お願いですから、また信心させてください』となるにきまっていると、確信をもって、折伏行動に励んでいただきたいと思う。
 この仏法の証拠がでなければ、大聖人様はウソつきであります。天台、伝教、釈尊もウソつきであります、仏様の申すことに断じてウソはありません。きょうを契機にして、また、皆さん方は、より以上の強い確信と勇気をもって、一生成仏の信心をしきっていただきたいと念願するものでございます。
 また、このへんは浄風会というインチキな邪宗日蓮宗系統の新興宗教が騒いでいることを、うけたまわっておりますが、もしか皆さん方に、なにやかや、うるさいことを申すようなことがあったならば、彼らはそれで飯を食い、また遠い一般会員の皆さんをいじめて、いい気になって、やきもちを焼いている、蠢動の姿であるゆえに『こんな徳島のほうでいわないで、仏法の大事のことなのだから、それほど大騒ぎをするのであるならば、正しいというのであるならば、堂々と東京の本部へ行って、どちらが正しいか結論をつけていらっしゃい』というふうに言っていただきたいと思うのですよ。
 『こんな、端のほうで、いなかのほうで騒いでいるなどということは、まるで子ネズミみたいではありませんか』と。このくらいのことをいっていただきたいと思うのです。
 自分自身の宗教が、大聖人様の仏法より盗んでいる宗教である。法盗人というのである。もしも正しい仏法であるならば、何千何万の、何百万の人を救ったか、しあわせにしきったか、ぜんぜんしておりません。たった十人か二十人で、ガアガアしている。そんなものに皆さん方は粉動されてはなりません。もしかそういうことがあったら、重ねて申し上げますが『ネズミみたいに、こそこそしないで、堂々と創価学会の東京本部へ行っていらっしゃい』と、いいですね。
 『一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり』と大聖人様は、おおせでございます。この南無妙法蓮華経を唱えるということは、大御本尊様に唱えるということであり、大御本尊様に題目を唱えきっていくこと以外に、この人生の最高の喜びはないという御文でございます。この一生の人生を有意義に、子孫末代までの福運を積む信心であり、楽しくて楽しくてたまらない、こんなにも人生とはしあわせなのかという自分自身をつくっていただきたいことを最後に念願申し上げまして、支部結成に対するあいさつといたします。
 皆さん方の今後の御健康と御健闘とを心からお祈り申し上げ、ともに、よいお正月をお迎えくだされんことを重ねて申し上げまして、お話といたします。

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