Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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大分支部結成大会 人生の四苦八苦を解決

1960.12.4 「会長講演集」第1巻

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1  学会精神は、大御本尊様は絶対である、日蓮大聖人様の大生命哲学が全世界の哲学を指導しうる、ただ一つの生命哲学であるということを、訴えきるだけでございます。
 私どもが、この世に生をうけたということは、厳然たる事実であります。生まれてきたがゆえに、生きていかねばなりません。その生きていくうえにおいて、どのように安心しきって、どのようにしあわせに、この一生を生ききっていこうか、生きねばならないかというところに、仏法の発生があり、宗教の発生があるのです。
 だが、あまりにも私どもは宗教に無知でありました。したがって、そこに邪宗邪義の発生もおのずから出てくるわけなのです。釈尊の出現も、天台、伝教の出現も、また、御本仏日蓮大聖人様の仏法の出現というものも、そこから出ているのです。どのように幸福にこの人生を生きるかということに帰着するのです。
 だが、邪宗邪義は、この人生を諦観的にあきらめさせていく思想であり、宗教なのです。反対に大聖人様の仏法は、この人生を最大限に楽しく生ききっていくのだという、幸福に楽しみきっていくのだという仏法なのです。だれびとを問わず、この人生を生きていくうえにおいて、釈迦は八つの苦しみがあると説いております。
 まず生老病死の四苦です。長い人生を生きていくという苦しみ、あすの命もわからない人生です。いつ自動車に、はねとばされるかわかりません。いつ強盗にはいられるかもしれません。また、今は、若くて健康であるけれども、アッというまに老人になってしまいます。『老』です。なんのために人生を生きてきたか。また、年をとった時に、からだが不自由になって、どうしようもない苦しみを受けるのです。
 また『病』やまい。おのおの宿命、罪業をもつ命です。病気になっていかなければならない苦しみ。次に総理大臣であろうが、財閥であろうが、だれびとも、いっぺんは死ぬわけです。その『死ぬ』という苦しみの解決。
 それから『愛別離苦』といって、どんな美しい奥さんをもとうが、かわいいお子さんをもとうが、りっぱな夫をもとうが、必ず別れていかなければならない苦しみがあるのです。愛する者と別れていく苦しみ。また『怨憎会苦』会いたくない人と会わねばならない苦しみ。借金取りであろうが、毎日、隣近所でけんかしても、また会わねばならない苦しみ。それから『求不得苦』一生懸命働いて、うんと金をもうけようと努力するけれども、金がはいらない苦しみ。しあわせになっていこう、うんと商売を繁盛させようと思っても、思うようにいかない苦しみがあるのです。それから『五陰盛苦』自分自身をどうしようもない。バカである、根性曲がりである、おこりっぽい、そういう自分自身を、どうすることもできない苦しみもありまます。
 そういうように分析をした場合に、だれびとたりとも、絶対の幸福、安心立命の人生を生きていけないのが凡夫の姿であります。
 もしか、皆さん方も、また信心していない人であっても、なにも生活に不自由でない、健康であり、金持ちであり、一生涯、絶対に安心しきっていけるという確信のある人生を、自分自身がたもっているならば、信仰する必要もありませんし、宗教も必要ないのです。だが現実はそうではないわけです。
 そういう四苦八苦、これから生きていくうえにおいても、いろいろと悩みがありますけれども、いっさいの悩みを解決し、この人生はもちろんのこと、永遠に楽しみきって人生を生ききれる、自分自身をつくるために、大御本尊様を拝んでいかなければならないと私は叫ぶものでございます。ひとつの時代に、正しい宗教、正しい信仰というものは、必ず一つしかないのです。末法今時においては、大聖人様の三大秘法の大御本尊様以外に仏になる道はないのです。ぜんぶ、だれびとがなんと言おうが、経文のうえで、哲学のうえで、現証のうえで、日蓮正宗の一閻浮提総与の大御本尊様しかないということだけは断言をしきっておきます。あとは文証のうえでもっと知りたければ、一生懸命に勉強しなさい。大御本尊様の功徳がほんとうに偉大であるかないかは、皆さん方が勇ましく信心して実験証明をしなさい。
 恩師戸田城聖先生は、もったいない申し方ではありますけれども、大御本尊様の御事について『幸福製造機』と申されました。現代語でいえば絶対の幸福をつかむ機械であるということです。あと自分自身が幸福になるかならないかは、信力と行力である。大きい鐘があって、そっとたたけば、反響は小さい。強くたたけば反響は大きいと同じごとく、戸田先生は『あなた方は小指ぐらいの功徳しかもらっていない。わしの功徳は公会堂いっぱいの功徳をいただいている。早く功徳をうけなさい。それには強盛なる信心をしなさい』と申されておりましたが、皆さん方が『大御本尊様より、私は日本一功徳をいただいている、日本一、自分自身が幸福である』と言いきれるまで信心しきっていただきたいと私は思います。
 したがって、また大聖人様は『金剛不壊の身』というおことばを説かれておりますが、だれびとにもこわされない幸福、どんな時代がきても、どんな境遇であっても微動だもしない生命、これを会得し、完成しきっていくのが私どもの目的であります。人間革命です。疑っても幸福は得られません。非難したからといっても幸福は得られません。疑い、批判している人が、では、どれだけの絶対なる仏法を、どれだけの幸福になれる原理を知っているか。なにも知っていないし、また幸福もえていないではないか。
 であるならば、皆さん方は自分自身が大聖人様の弟子として絶対に究明しきって、求道精神をふるいおこして、たしかに自分自身は仏の命が湧現して、自分自身はだけびとにも破壊されない絶対の生命を、金剛不壊の身を築ききったと証明していかなければ、皆さん方自身が損であると思うのです。損得の問題です。学会のためでも、日蓮正宗のためでもありません。自分自身のために、どうかひとつ、いちだんと幸福の姿を、金剛不壊の生命の姿を築かれんことを切望しまして、私の話といたします。

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