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日蓮大聖人・池田大作

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岩手支部結成大会第一会場 大功徳の実験証明

1960.11.24 「会長講演集」第1巻

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1  『仏法と申すは道理なり』という日蓮大聖人様の御金言があります。仏法とは道理である。矛盾がない。因果の理法であり、この道理をわきまえない、因果の理法を知らない人を邪見の人というのです。本末転倒の人と唱えております。したがって、正を正とみない、邪を邪とみない、善を善と認識せず、悪を悪と認識しない。そういう邪見、本末転倒の衆生が多い時に、世の中は不幸であり、病気になり、三災七難が起こり、国がふしあわせになってしまうわけです。それが、今の日本の現状であると私は思います。
 仏法といえば、いちおう釈尊に戻ります。では、釈迦の経文をひもといてみれば、ぜんぶ法華経に帰一します。『法華経以外はぜんぶ捨てなさい』『四十余年、末顕真実』『正直捨方便』その釈迦の言い唱えたとおりに、道理に合わせていけば、正しい宗教、正しい生活ができるわけなのです。それが、禅宗は、釈迦がいけないという宗教をたてたのが禅宗でありますから、邪見であり、邪宗であるがゆえに、不幸になるのであります。
 創価学会が、事新しく、自分の宗教を宣伝するために、禅宗は悪いと唱えているのではないのです。三千年前に、釈尊みずからが、禅宗は捨てなさいというがゆえに、仏のいうことを聞かないから、今、私どもは道理にかなった、釈尊の言ったとおりに、禅宗が悪いと叫ぶのですから、別に悪いことはないわけでしょう。もっともいいことをしているわけなのです。
 日蓮大聖人様は『日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』との御本尊様をきちっとあらわしてくださっておられます。また、『かかる日蓮を用いぬるともあしうやまはば国亡ぶべし』とおおせです。立正佼成会は、この仏さまの言うことをきかず、日蓮大聖人様の法をうまく利用し、法を盗んで、金もうけをしている宗教であります。したがって、不幸になることは当然であります。
 今、私どもは、日蓮大聖人様の弟子として、家来として、大聖人様の法を間違えて、利用して、ひろめている立正佼成会を、邪宗邪義と言いきって攻めることは、当然の道理であると私は思うのでございます。
 私どもが拝んでいる大御本尊様は、大聖人様のより日興上人様へ、日興上人様より日目上人、日道、日行上人と、法灯連綿七百年の間、今日においては、第六十六世日達上人猊下の代まで、清浄に伝わっておる大法であり、一切衆生の拝むべき、一閻浮提総与の大御本尊様なのであります。
 絶対に天に二つの日がないように、一国にふたりの国王がいないように、末法において、ただ一つの宗教は、日蓮正宗の三大秘法の大御本尊様以外には断じてないのであります。
2  したがって、今、私どもは、その御本尊様を奉持して、仏道修行をしております。よく初代の会長である牧口先生は、実験証明ということを申されておったとうけたまわっておりますが、御本尊様を拝んで、一生懸命に仏さまのお使いを申し上げて、幸福にならないのであるならば、私も、とっくに信心をやめております。また、さきほどの原島先生、柏原先生たちは二十年間の信心です。みんなやめております。バカらしい、一銭ももうかるわけではないし、電車賃を使って、岩手までこなくてはならないし、もっと東京で遊んでおったほうがよっぽどいいわけになります。
 しかし、ぜんぶ御本尊様から功徳を厳然といただいているから確信があり、功徳があるのです。私たちが、同じく、皆さん方も、まじめに信心して、御本尊様が助けてくださらなければ、功徳を与えてくださらなければ、信心はやめたほうがいいです。そんな無慈悲な仏がいるわけがありません。そんな力のない御本尊様であるならば信心しないほうがましです。今、私どもは、絶対に御本尊様には力がある、功徳があるということを、大確信をもって申し上げておきます。あとは皆さん方が実験証明しなさい。
 いくら大きい鐘をもらっても、たたかなければ鐘は鳴りません。どんなおいしいものであっても、食べてみなければ、ほんとうに、そのおいしさはわかりません。どんなためになる本があっても、その本を読んでみなければ価値はありません。どんな優秀な機械があっても、電流を通し、機械を運転しなければ製品はできません。すべて、それは道理です。
 皆さん方が、朝晩の勤行をまじめにいたし、おのおのの立場で、力に応じ、境遇に応じて、大聖人様のおおせどおりにお使い申し上げる、折伏です。そうして、一年、二年、三年と実験証明していくならば、結果ははっきりすると思うのです。十年、二十年の信心の姿をみますと、まじめに信心した人は、みんなしあわせになっております。
 利口げに、名誉や財産だけを考えて、学会をバカにして、学会から離れた人も、牧口先生当時も、戸田先生当時もおりましたが、その人たちの姿は、十年、二十年の今日、みんなみすぼらしいです。これが、証明です。実証です。証拠です。仏法は証拠が大事です。
3  今、皆さん方が、世間から、または隣人から、いろいろと批判をされ、悪口を言われることがあるかもしれませんが、批判し、悪口を言った人が、今度は、反対に罰の実証がでます。証拠がでます。それほど力のある、はっきりした大仏法でありますから、安心して仏道修行に励んでいただきたいと私は思います。
 最後に、皆さん方が御本尊をうけて、仏道修行をすることは、皆さん方ひとりひとりが仏になるためであり、物心とものしあわせをつかむためであり、安心立命の、一生涯を楽しく生ききっていくための信心であります。広宣流布のためとか、創価学会のためとか、支部のためでは絶対ございません。したがって、疑えば生活に自分自身が損をするだけです。信心しなければ、それだけ自分自身の幸福をつかむ日が遅れるだけです。一日でも早く、一日でもまじめに信心していけば、それだけ早く、自分自身の幸福を、自分自身の人生の確信をつかむと、このように思って、しっかりした信心をしていただきたいと思います。

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