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南秋田支部結成大会 学会精神

1960.11.23 「会長講演集」第1巻

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1  新支部の結成、まことにおめでとうございます。
 私ども、創価学会の精神、また幹部の自覚というものは、ぜんぶ一般会員の方々のための幹部であるわけなのです。壇上のうえのほうに立って、すわって、ずいぶん偉そうでいいなと、お思いになるかもしれませんが、ひとつだって、私をはじめ理事の先生方も、支部長級も自分を偉いなと思っている心なんか微塵もないのです。
 先日の幹部会においても、幹部に言い伝えておったのでありますが、役職には『先生』をつける必要はないのです。『支部長先生』『地区部長先生』『会長先生』みんな必要はありません。
 苗字の場合はですね『池田』とか、『原島』『柏原』などというと、刑務所かどこかへ行ったみたいですから、それは、ひとつ教授でもありますし、指導者ですから『先生』と礼儀をもって、尊敬の意味としては、自由につけてくださっていいですよ。『池田さん』でも『原島さん』でも、『柏原さん』でも結構なのですよ。『会長先生』『理事長先生』『支部長先生』『地区部長先生』などというみたいな、そんな耳ざわりのするような、形式ぶった、そういう行き方は、まったくやめて、もっともっと庶民的な、全学会人が上も下も直結していくような組織でありたいと、私は思うのでございます。
 学会は、他人行儀はいっさいやめる、形式的な行き方はいっさい排除するというのが、牧口先生、戸田先生からの大精神なのです。実質主義です。
 また『会長の慈悲によって』ということばがありますが、それは尊敬の意味で申されると思いますが、ぜんぶ御本尊様です、御本尊様の慈悲です。御本尊様あっての創価学会であり、会長であり、日蓮正宗があるのです。けっして『だれだれの御慈悲』『支部長の御慈悲』そういうことを表現する必要はないのです。
 私どもは、ただひとすじに大御本尊様の御慈悲に浴して、いっさい活動しているのだという自覚をもって進んでいきたいと思うのでございます。
2  話は変わりまして、私どもは、ただ会員が願うことは、この世の平和であり、幸福に生きていきたいということだけです。
 平和をつくり、全民族を幸福にしてくれる大政治家がいれば、ほんとうに私はうれしいと思います。また、大科学者が、大教育学者が、大経済家、すなわち国民の大指導者がいるならば、ほんとうに私は尊敬しますし、それを願っております。現実はそうではありません。悩める人、苦しんでいる人があまりにも多いのです。
 したがって、私どもは、りっぱな、人々のことを思い、幸福にし、子孫末代まで平和にしてくれる、大指導者がいれば、なにも創価学会は騒ぐ必要はないのですけれども、現実としてはだめです。どうしてもそこに大生命哲学を奉持し、末法の救世主である日蓮大聖人様の三大秘法の大御本尊様によって、それをひろめて、平和と真実の幸福をつくらねばならい宿命に立ち上がっているのが、日蓮正宗創価学会なのであります。
 この大聖人様の御命令に、全民衆の要望にこたえて、慈悲をもって活動していくのが地涌の菩薩であります。したがって、創価学会は、大勢の会員を集めて、金もうけすればいいのだというように世間の人は思う人があると思いますが、また、なにか将来たくらんでいるのではないかと危惧する人も、世間にはあるかもしれませんが、どの世界を見ても、社会を見ても、みんな利害の関係と、派閥争いと、自分一個の個人主義の名誉欲とが浸透しきっているのが、他のいっさいの世界です。宗教界もしかり、政治界もしかり、思想界もしかり。そういう悪世末法のなかにおって、ただ一つ真実の仏法により、真実のつながりをもち、真実の幸福を受けきって、清らかに進んでいるのは、創価学会しかないのです。
 あると思ったならば、どれでもいってみてください。また、しあわせになる道があると思ったならば、どこでもいってください。創価学会にはいってくださいということは、ひとことも言いません。これが学会精神です。
3  大御本尊様のことについては、大聖人様は『習いそこないの学者が知ることができない大仏法である』とおおせです。一念三千という大哲理、草木成仏という大原理のうえにたって、大御本尊様というお力というものは、信じきってみなければわからない。よく戸田先生は『三百年前にテレビやラジオがあったならば、だれも信じないであろう』とおおせになっておられましたが、八万法蔵の極理である、大聖人様出世の御本懐である、永遠の衆生を永遠に救いきると、大確信をもっておのこしくださった御本尊様のことを、そのへんの学者に、宗教学者たちに、わかるわけがありません。それほどの、絶対の御力のある御本尊様なのです。『一枚の紙ではないか』という人があるかもしれませんが、いなかの、おばあさんに、小切手を渡しても、その価値はわかりませんし、家の登記書だって一枚の紙なのです。本だって、ぜんぶ紙です。そこに印刷がなされておりまますが、お金だって紙です。ラブレターだって紙です。すべて一枚の紙であるけれども、人生に大きな影響を与えております。
 『日蓮がたましひすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ』と申された、大聖人様の、御本仏日蓮大聖人様の、御命が、そのまま大御本尊様に盛られており、うつされているのです。その御本尊様に題目をあげることによって、自分自身の仏の生命力が湧現してくるのです。その生命力を湧現しきって、この一生、だれよりも楽しく、幸福にみちみちて、生きていこうではありませんか。
 これだけを教えあい、また味わいあっていくのが、創価学会の和合僧の姿なのです。あとはぜんぶ枝葉です。どうかひとつ、一生涯、御本尊様を放さないで、自分ほどしあわせはないと――やりもしないで功徳がないといってはいけませんよ――きちんと正しい指導をうけ、正しい信仰により、そうして功徳をどんどん湧き出していく。自分勝手な我見をもってはならない場合もあります。おんしつをしてもならない。正しい指導をうけ、正しく実践し、正しく信仰するならば、ぜんぶ仏になることは決まっているのです。それを重ねて申し上げまして、きょうの話といたします。おめでとうございました。

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