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日蓮大聖人・池田大作

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長野支部結成大会 学会組織のあり方

1960.11.11 「会長講演集」第1巻

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3  ですから、偉大なる大御本尊様です。だれびとたりとも、絶対に大御本尊様に、南無妙法蓮華経を唱えなくてはならない。政治家はりっぱな政治をしようとするために、科学者は偉大なる科学をつくって、発見、発明して、人類のために、貢献するために、教育者もしかり、事業家もしかり。いっさいの民衆が幸福になり、おのおのの立場で、最高に、社会のために貢献するためにも、その源泉になるものは、大聖人様の仏法以外にないと私は信ずるものです。
 『信心と申すは別にはこれなく候』と大聖人様はおおせです。子供が、親にすがりきっていくように、また夫が妻をしたうがごとく、妻が夫に離れないように。利害とか、観念的に考えて、信心というものはあるわけではないのです。つらいときでも、楽しいときでも、ただ、南無妙法蓮華経、御本尊様を思い浮かべて、南無妙法蓮華経と唱えることが、信心の究極なのです。ひとつもむずかしくないのです。力を入れて話すから、力を入れて題目を唱えるから、信心が強いとか、弱いとかという問題ではありません。
 子供が親に、どんなときでもついていくように、また、武士がいつも刀を持って戦っていく精神、すなわち、邪宗教はぜんぶだめだ、正宗しかない。また、奥さん方が、いつも鏡をもっているごとく、ほかのものはだめだ、この鏡で一生懸命照らしてみれば、自分の顔形がきれいになるというふうにいつも御本尊様を浮かべて、お題目を唱えていけば、それが信心なのです。これさえ、通していけば、私どもは自然のうちにしあわせになります。仏になります。絶対なる幸福をつかんでいくわけでございますから、どういうことがあっても、御本尊様を放さない、御本尊様を胸に刻んで、楽しく、力強く、この人生を生ききっていこうではありませんか。これを、これだけを教えるのが、創価学会の指導なのです。あと、学会の指導はなにもないのです。
 御本尊様を離れて、いずこに行っても、しあわせになる道はありません。これだけは、もうくどくどと申し上げておきます。いままで何百人、何千人が離れていったのをみておりますが、ぜんぶ三年たち、七年たち、十年たち、十五年たち、皆あやまって、御本尊様のもとに帰っております。その二の舞いをさせたくないために申し上げるのです。

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