Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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松本支部結成大会 不幸なくす唯一の団体

1960.11.10 「会長講演集」第1巻

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1  創価学会の目的はただ一つ、日蓮大聖人様の出世の御世の御本懐である、衆生を永遠にお救いくださる大御本尊様を信じ、また知らない人に教えていく、これだけなのです。したがって、大御本尊様を信ずる以外に、私どものしあわせはないわけなのです。
 この大御本尊様があって、初めて日蓮正宗があるのです。創価学会があるのです。松本支部があり、教学部があり、文化部があるのです。ぜんぶ御本尊様が根本です。あとは、その御本尊様を拝んで、しあわせになるためへの組織であり、教えであり、激励なのです。それを間違えてはたいへんです。
 だから、さきほどから、会長とか、池田先生とか、ずいぶん言われて、ノイローゼみたいで、恥ずかしくて、恥ずかしくて、どこかへ逃げようと思っているのですけれども、逃げるわけにもいかないし、たとえ、私がダメであっても、日蓮大聖人様の教えは、大御本尊様は、間違いないということだけは、私も知っておりますから。
 ずいぶん世の中には、りっぱなことを言う人もたくさんおります。学会のことを批判し、さも人格者ぶって、偉そうに言っている人が多いですけれども、まあちょっと、今も外へ出れば衆議院の選挙や、なにかで、私は民衆の味方だ、私は松本市を幸福にする、聞きあきたせりふです。ぜんぶがぜんぶとはいいません。
 だが、絶対に幸福にさせきれる原理と、方法と、その大衆の味方になって、命がけで戦っている、真心の指導者がいるかどうか、ということを考えた場合には、私は少ないと思うのです。
 今、私どもは、絶対に幸福になれる大御本尊様という原理を知っております。かんたんに幸福になる方法を知っております。それで、会長であろうが、理事長であろうが、支部長であろうが、ちょっと見ると偉そうに見えますけれども、そうではありません。あくまでも、私たちは一生涯、大御本尊様を奉持し、しあわせになろうと戦っている、また、大衆の味方になって、一生懸命に励んでいる同志をば、私どもは全魂を打ち込んで、皆さん方のなかに突入して、戦っているのが創価学会の精神であります。どこの団体に、どこの社会に、そういう清らかな真実の団体があるかと、私は叫んでおきたい。絶対ありません。
 皆、偉そうなことを言いますが、金もうけである。それから自分だけが偉くなればいい。口では、大衆の味方だなどと、うまいことを言って、同情めいたことを言いますけれども、そういう、りっぱな人はいないらしいです。少ないです。ただ一つ、ほんとうに仏様の言うことを、日蓮大聖人様の仰せになっているそのおことばを、純粋に信じ、純粋にひろめて、しあわせになっていくべき、ただ一つのこの教団を、創価学会を、皆さん方とともに、広宣流布の日まで育てきっていきたいと私は思うのでございます。
 広宣流布が成就するならば、すなわち不幸の人が、この日本の国にいなくなれば、創価学会は解散いたします。必要ないのです。なにも日蓮正宗や、創価学会を大きくして、勢力を張るための学会ではありません。大聖人様の御精神、戸田先生の御精神も、そんなちっぽけなものではありません。不幸の人を、私たちは、日本の国から、また全東洋、全世界の国からなくするために、戦っていこうではありませんか。
2  大御本尊様の御事については、なぜ大御本尊様に力があるか、なぜ大御本尊様は根本であるか、幸福になるのかという大哲学については、これは法華経のなかに、また御書のなかに、きちっとおしたためになっておられます。
 それはさておいて、まず大聖人様が大御本尊様の功徳について、釈尊が五十年かかって説いた宗教、仏教、修行した全体の功徳、それを、ぜんぶ大御本尊様のなかにそなえていると申されてもおりますし、三世十方の仏が、仏になった種は、やはり大御本尊様であるとも説かれております。
 八万宝蔵という大哲学を、釈迦は説いておりますが、ぜんぶ、それも大御本尊様のなかに含まれているともいわれております。また全宇宙の法則、慈悲というものも、ぜんぶ大御本尊様のなかに含まれているとも説かれております。日本といえば、一億の人口も、ぜんぶ日本ということばのなかに含まれてしまうし、信州も、東京も、九州も、北海道も、山も川も木も、ぜんぶ日本というなかに含まれてしまいます。とおなじように、大御本尊様こそが、いっさいの大哲学の根本であり、仏法の真髄であり、幸福の直道の源泉であるということを訴えておきます。
 あとは、なぜ、それではという経文については、これから一生懸命に、皆さんも勉強してください。論より証拠で、生活のうえに功徳をうけ、幸福になっていけば、まず証拠としては正しい証明になるわけですから、うんと功徳を受けてください。
 そういうわけですから、御本尊様を根本にして、おのおのの立場で、いろいろな宿命で泣いておる人もいるでしょう。いろいろ苦しんでおる人もいるかもしれませんが、十年、信心をしきってごらんなさい。一生涯信心をしきってごらんなさい。私は一生涯といっても、若いけれども後ろを振り返ってみたときに、ぜんぶ、なんだかんだ、なんだかんんだといっても、願いはきれいにかなっているものです。
 これは私どもの強い体験です。まさか、願いがかなっていなかったら、とっくにやめていますよ、つまらない。だから、原島先生は二十一年間、柏原先生も二十何年間の体験ですから、今はりっぱなお姿をしていまますけれども、十五年前、十八年前は、それはもう、たいへんだったらしいですよ。
 われわれは、もっとも不幸な人が幸福になっていけるのですから、最高の力があるのが仏法であると思うのです。まあ、また、だんだん話が進んでしまうと終わらなくなりますから、以上をもって私の話にかえます。

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